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「リプニツカヤほど心を揺さぶる者はいない」Icenetwork記事訳(2014/4/21)

パレード

土曜日は初夏のように気持ちのいい、パレード日和の1日でしたね。
ほんとうによかった。
羽生選手も予想以上のきらきら笑顔でした。

しかし、そんな日も、我が家は小さな悲劇で幕を開けました。
朝10時すぎにパソコンの前で固まっていた私。
家族「顔、真っ青だけど、どうかした?」
私「……」(言葉が出ない)
家族「このあと出かけるって言ってたけど、だいじょうぶ?」
私「チ…チ…チ………」
家族「チ?」
「DOIのチケットが取れなかった〜〜〜!!!!」(泣)
家族「……」(心配して損したという顔)

とまあ、そんなわけで、朝からすでに泣きの入っていた私。
(いや、でもまだあきらめません。戻りチケットや譲渡サイトに期待。目指せ、楽日のSAR/AR!!←目標高すぎ^^;)
出先でもパレードのことが気になって、スマホで情報を確認したくてしかたないけど、泣く泣く我慢。
夜になって、ようやくいろんな写真や記事を見ることができました。
テレビでも、いろんなニュースを録画しているし、すでにいろんな動画もあがっています。
でも、見られなかった。
だって……見たら、ぜったいに泣く。
泣かないで見る自信がない。
深夜に暗い部屋で、にぎやかなパレード映像を見ながら泣く女。
こわっ。
くたくたに疲れていたこともあり、もう無理だと思って寝ました。
きっとあしたになれば、晴れやかな気持ちで見ることができるはず。

日曜も同じように気持ちよく晴れました。
そして、きらきら笑顔のパレード映像を見て


結局、泣いてるじゃんかーーー!

よかった、家族が起きる前で。
ヤバい人認定されるところでした。
もし……
まだ……
されていなければ、の話ですが。

前置きが長くなりすぎました。すみません。
きょうはちょっと気分を変えて、リリィさんによるリクエスト・シリーズ第一弾、リプニツカヤ選手の記事をご紹介します。
リプニツカヤ選手は家族みんなで好きなんです。とはいえ、とくにくわしいわけではなく、知っているのは、彼女が羽生選手のファンで浅田選手を尊敬していること、ロシアの羽生選手ファンサイトをブックマークしていること、「金メダルを獲るために必要なのは」ときかれて「努力、努力、そして努力」と答えたこと、アイリン手袋を愛用していること、ファンにコロ助のぬいぐるみをプレゼントしてもらったこと、「ゆづ、愛してる」事件の直後、ロシアから刺客を差し向けたということくらいで。あ、最後のはデマでしたね、残念……じゃなくて、失礼しました。

というわけで、長い長ーい記事ですが、よかったら読んでくださいね。羽生選手にも通じる内容だなあと思いながら、訳しました。

★★★

リプニツカヤほど心を揺さぶる者はいない
このスケーターの演技は、スピルバーグから、ただなんとなく観ていただけの人にいたるまで、あらゆる人の心に訴えかけた
2014年4月21日
ヴラディスラフ・ルチアノフ

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『シンドラーのリスト』の赤いコートの少女を演じることで、ユリア・リプニツカヤは世界じゅうの観客を感動させた-画像はGetty Imagesより

Icenetworkは2013-14年の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」(今季、もっとも活躍した人物)を5月15日に発表する。Icenetworkの寄稿者として、その名誉ある賞にノミネートされたひとりを紹介しよう。

「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に誰を選ぶか、ずいぶん前に決めていたのにもかかわらず、ロシアのユリア・リプニツカヤについて書くのは容易なことではない。それはなぜか。最年少のオリンピック・チャンピオン兼ヨーロッパ・チャンピオンである彼女は、フィギュアスケーターの典型的なタイプにあてはまらないからだ。

言っておくが、もし「パーソン・オブ・ザ・イヤー」を世界の幅広い人材、有名な政治家や俳優や実業家たちも視野に入れた上で選ばなくてはならないとしても、それでも私はリプニツカヤを選んだだろう。

これまで私たちはスケーターを2種類に分類してきた。技術面に秀でた選手と芸術面に秀でた選手だ。しかし、どうやっても、リプニツカヤをどちらかにあてはめることはできない。実際、彼女になんらかのレッテルを貼ることは不可能なのだ。

これに異を唱える人は多いだろう。一部の専門家や批評家がそうだ。たしかにリプニツカヤは技術面で秀でている。1年前なら私も同意したかもしれない。そう、当時の彼女は、主にその卓越した技術力で注目されていた。

しかし、オリンピック・シーズンでそれが一変した。たしかに、このスケーターは現代のフィギュアスケート女子シングルのもっともむずかしい要素のすべてをこなしている。しかし、今年になって、特筆すべきはその技術力ではなくなった。ソチ・オリンピックでの『シンドラーのリスト』の演技は、スケート業界の代表を自認する人たちだけでなく、世界じゅうの何十万もの人々を感動させた。声も出せずに見入るしかなかったのだ。

私は、オーストラリアから南米にいたるまで、世界じゅうの人から、この15歳の演技を賞賛するメールを数多く受け取った。中には、フィギュアスケートをよく知らない人もいた。

リプニツカヤが芸術性に欠けているという人には、その件について『シンドラーのリスト』のスティーヴン・スピルバーグ監督と論じてみることを強くお勧めする。彼はリプニツカヤの演技に深く感銘を受けて、以下のような手紙を書いている。


ユリアさま

あなたが、私の映画『シンドラーのリスト』のジョン・ウィリアムズの曲で演じた、赤いコートの少女の金メダルの演技にどれほど感動したかを伝えたくて、手紙を書いています。あなたは魂のこもった見事な演技を通し、威厳ある滑りでホロコーストを思い起こさせてくれました。カリフォルニアの自宅のテレビで、3人の息子と4人の娘といっしょにあなたの演技を見たのですが、涙を流さずにいられる者はひとりとしていませんでした。

あなたを知ることができたのがソチ・オリンピックでのいちばんの収穫です。2018年の平昌オリンピックでも注目しています。いつか家族同士でお目にかかる機会が訪れますように。ぜひとも、実現できることを願っています。

お体、大切に。
スティーヴン・スピルバーグ



注目してほしいのは「涙を流さずにいられる者はひとりとしていませんでした」というくだりだ。我が家でもそうだったし、地球上の多くの家庭でそうだっただろう。このように、映画界に多くの傑作を送り出してきた監督が感情のこもった手紙を送ったということが、リプニツカヤのプログラムの芸術表現の完璧さと真実味という面において、もっとも有効な主張となるだろう。

伝説的なアスリートからも似たような感想が寄せられている。

「これは快挙だ。1998年の長野オリンピックで、アメリカの15歳のタラ・リピンスキーが金メダルを獲得したときと同じだ」とアレクセイ・ヤグディンが話している。ヤグディンもその演技で多くの観客の涙を誘ってきたスケーターだ。

「同じ15歳だから気に入っているだけだろうとみんなに言われるんですけど」とタラ・リピンスキーが言う。彼女はNBCの解説者としてソチを訪れていた。「でも、ちがいます。彼女は金メダルを獲得するだけのものを持っています。(中略)特別ななにかを持っているんですよ。スターとしての資質をね」

「ユリア・リプニツカヤの演技ったら、なんて完璧で美しいの! まだ15歳なのに。最後のスピンといったら……」世界的なテニス・プレイヤー、マリア・シャラポワがオリンピック中にそうつぶやいている。

だれかがそういった感情を引き起こすとき、それは単に偉業を成し遂げたというだけではなく、世界じゅうの人々の心に大きく貢献している。これはフィギュアスケート界においては、驚くべきことである。リプニツカヤは、フィギュアスケートどころか、スポーツそのものに関心のない多くの人の心まで動かしたのだから。フィギュアスケート界では長年、こんなことはなかった。

もちろん、オリンピックとヨーロッパ選手権の金メダルや、世界選手権の銀メダルを軽視するつもりはない。しかし、それ以上に重要なのは、リプニツカヤの演技が、さまざまな人の心の中の、純粋で真摯で奥深いなにかを目覚めさせたということだ。苦しみに満ちた現代社会において、そういった瞬間はますます貴重なものになっている。

また、リプニツカヤがフリープログラムで提起した問題の重要性も忘れてはいけない。残念ながら、いくつかの国において危険分子がまた生まれてきている、この世界では、ホロコーストの恐ろしさはしつこいほどにくり返し提起すべき問題である。それは地球上のだれもが思い起こすべき歴史であり、忘れるのはとても危険なことだ。

今年、リプニツカヤはほんとうに気に入った曲でしか滑らないことによって、その人間性を明らかにした。フリープログラムだけでなく、ショートプログラムの選曲においても、同じだ。マーク・ミンコフの『愛はまごころ』という曲は、ロシア以外の人にとっては聞き慣れたメロディーではない。”あまり有名ではない”曲を選ぶというリスクをおかしてでも、リプニツカヤはそれを選んだ。そして、それが正しかったことは彼女の演技によって証明されている。

この若きスケーターが尊敬に値する理由がもうひとつある。彼女が独立独歩の人間であるということだ。リプニツカヤは自分の力だけでここまで来た。与えられたものなど、なにひとつない。いま彼女が手にしているのはすべて、みずからつかみ取るしかなかったものなのだ。

ロシアの連盟の幹部に後ろ盾がいたことはない。ロシア・チームの一部のメンバーとはちがい、オリンピックに向けての準備中に特別待遇は受けていない。スポーツ省の専門家による”特別チーム”もついていなければ、練習のための潤沢な資金があるわけでもない。リプニツカヤが、ロシアでも、そのほかの国でも、大勢のふつうの人々にこれほど愛されているのは、それが理由なのかもしれない。

オリンピック後、ロシアのさまざまなポップスターやそのお仲間を含む、多くの人々がその名声に乗っかろうとした。しかし、このエカテリンブルク出身の少女にセレブな生活は無縁だ。彼女はいまも変わらず、平穏で静かな暮らしを好んでいる。多くの時間を苦しい練習に注いできた彼女には、それが必要なのだ。

今シーズンのリプニツカヤの演技はしばらく忘れられることはないだろうし、多くの人のオールタイム・ベストのプログラムに加わることはまちがいない。さらに私は確信している。彼女が『シンドラーのリスト』の演技で見せた鋭い視線は、何年たっても、私たちの魂の奥深くに突き刺さり、改めて涙を流させることだろう。心が洗われるような、しかし同時に、私たちの目をさまさせてくれる涙を。




★★★

長い記事を読んでくださってありがとうございました。
ずっと前にアウシュビッツ強制収容所跡に行ったことがあります。ある日、「そうだ、ポーランド行こう」と思いたち、ひとりで行きました。いまよりも時間もお金も自分で使えたころの話です。行って愕然としました。資料の陰惨さにではありません。あまりにも牧歌的な場所だったからです。広々として、緑濃く、花が咲き、蝶が舞い飛び、でも、その野原の中央には捕虜を送りこむ鉄道引き込み線があり、あちこちに収容所があり、悲惨な資料があり……。その落差に衝撃を受けたのです。

だから、この記者が書いているように、15歳のリプニツカヤ選手があえて『シンドラーのリスト』の曲を使ったことには大きな意味があります。羽生選手が、曲ちがいとはいえ、復興への思いをこめた『ロミオとジュリエット』を選んだのと同じくらいの、意志の強さを感じます。だって、羽生選手が言うように、彼らはアスリートであると同時にアーティストでもあるから。その演技によって、観客になにかを伝えることができるから。彼らはそれを自覚していて、さらに自分にはなにかを伝える責務がある、それだけの覚悟を背負っているように思えます。だからこそ、その演技に、そのひたむきさに、そこに秘められた強い覚悟に、研ぎ澄まされた固い意志に、がむしゃらな情熱に、観る者は惹かれ、心を揺さぶられるのだと思います。むきだしの魂が垣間見えて、もう目が離せない。



そうやって、いつのまにかヤバい人になっていた私ですが、きょうはね、もう余裕です!
パレード映像見ながら、にっこにこですよ!
もうね、投げKISS映像ですら、余裕で見られますから。
余裕で……(バタッ)









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[ 2014/04/28 17:38 ] ユリア・リプニツカヤ | TB(0) | CM(20)
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