スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

「リプニツカヤほど心を揺さぶる者はいない」Icenetwork記事訳(2014/4/21)

パレード

土曜日は初夏のように気持ちのいい、パレード日和の1日でしたね。
ほんとうによかった。
羽生選手も予想以上のきらきら笑顔でした。

しかし、そんな日も、我が家は小さな悲劇で幕を開けました。
朝10時すぎにパソコンの前で固まっていた私。
家族「顔、真っ青だけど、どうかした?」
私「……」(言葉が出ない)
家族「このあと出かけるって言ってたけど、だいじょうぶ?」
私「チ…チ…チ………」
家族「チ?」
「DOIのチケットが取れなかった〜〜〜!!!!」(泣)
家族「……」(心配して損したという顔)

とまあ、そんなわけで、朝からすでに泣きの入っていた私。
(いや、でもまだあきらめません。戻りチケットや譲渡サイトに期待。目指せ、楽日のSAR/AR!!←目標高すぎ^^;)
出先でもパレードのことが気になって、スマホで情報を確認したくてしかたないけど、泣く泣く我慢。
夜になって、ようやくいろんな写真や記事を見ることができました。
テレビでも、いろんなニュースを録画しているし、すでにいろんな動画もあがっています。
でも、見られなかった。
だって……見たら、ぜったいに泣く。
泣かないで見る自信がない。
深夜に暗い部屋で、にぎやかなパレード映像を見ながら泣く女。
こわっ。
くたくたに疲れていたこともあり、もう無理だと思って寝ました。
きっとあしたになれば、晴れやかな気持ちで見ることができるはず。

日曜も同じように気持ちよく晴れました。
そして、きらきら笑顔のパレード映像を見て


結局、泣いてるじゃんかーーー!

よかった、家族が起きる前で。
ヤバい人認定されるところでした。
もし……
まだ……
されていなければ、の話ですが。

前置きが長くなりすぎました。すみません。
きょうはちょっと気分を変えて、リリィさんによるリクエスト・シリーズ第一弾、リプニツカヤ選手の記事をご紹介します。
リプニツカヤ選手は家族みんなで好きなんです。とはいえ、とくにくわしいわけではなく、知っているのは、彼女が羽生選手のファンで浅田選手を尊敬していること、ロシアの羽生選手ファンサイトをブックマークしていること、「金メダルを獲るために必要なのは」ときかれて「努力、努力、そして努力」と答えたこと、アイリン手袋を愛用していること、ファンにコロ助のぬいぐるみをプレゼントしてもらったこと、「ゆづ、愛してる」事件の直後、ロシアから刺客を差し向けたということくらいで。あ、最後のはデマでしたね、残念……じゃなくて、失礼しました。

というわけで、長い長ーい記事ですが、よかったら読んでくださいね。羽生選手にも通じる内容だなあと思いながら、訳しました。

★★★

リプニツカヤほど心を揺さぶる者はいない
このスケーターの演技は、スピルバーグから、ただなんとなく観ていただけの人にいたるまで、あらゆる人の心に訴えかけた
2014年4月21日
ヴラディスラフ・ルチアノフ

Lipnitskaia_51mdm8rx_4egtno0u.jpg
『シンドラーのリスト』の赤いコートの少女を演じることで、ユリア・リプニツカヤは世界じゅうの観客を感動させた-画像はGetty Imagesより

Icenetworkは2013-14年の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」(今季、もっとも活躍した人物)を5月15日に発表する。Icenetworkの寄稿者として、その名誉ある賞にノミネートされたひとりを紹介しよう。

「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に誰を選ぶか、ずいぶん前に決めていたのにもかかわらず、ロシアのユリア・リプニツカヤについて書くのは容易なことではない。それはなぜか。最年少のオリンピック・チャンピオン兼ヨーロッパ・チャンピオンである彼女は、フィギュアスケーターの典型的なタイプにあてはまらないからだ。

言っておくが、もし「パーソン・オブ・ザ・イヤー」を世界の幅広い人材、有名な政治家や俳優や実業家たちも視野に入れた上で選ばなくてはならないとしても、それでも私はリプニツカヤを選んだだろう。

これまで私たちはスケーターを2種類に分類してきた。技術面に秀でた選手と芸術面に秀でた選手だ。しかし、どうやっても、リプニツカヤをどちらかにあてはめることはできない。実際、彼女になんらかのレッテルを貼ることは不可能なのだ。

これに異を唱える人は多いだろう。一部の専門家や批評家がそうだ。たしかにリプニツカヤは技術面で秀でている。1年前なら私も同意したかもしれない。そう、当時の彼女は、主にその卓越した技術力で注目されていた。

しかし、オリンピック・シーズンでそれが一変した。たしかに、このスケーターは現代のフィギュアスケート女子シングルのもっともむずかしい要素のすべてをこなしている。しかし、今年になって、特筆すべきはその技術力ではなくなった。ソチ・オリンピックでの『シンドラーのリスト』の演技は、スケート業界の代表を自認する人たちだけでなく、世界じゅうの何十万もの人々を感動させた。声も出せずに見入るしかなかったのだ。

私は、オーストラリアから南米にいたるまで、世界じゅうの人から、この15歳の演技を賞賛するメールを数多く受け取った。中には、フィギュアスケートをよく知らない人もいた。

リプニツカヤが芸術性に欠けているという人には、その件について『シンドラーのリスト』のスティーヴン・スピルバーグ監督と論じてみることを強くお勧めする。彼はリプニツカヤの演技に深く感銘を受けて、以下のような手紙を書いている。


ユリアさま

あなたが、私の映画『シンドラーのリスト』のジョン・ウィリアムズの曲で演じた、赤いコートの少女の金メダルの演技にどれほど感動したかを伝えたくて、手紙を書いています。あなたは魂のこもった見事な演技を通し、威厳ある滑りでホロコーストを思い起こさせてくれました。カリフォルニアの自宅のテレビで、3人の息子と4人の娘といっしょにあなたの演技を見たのですが、涙を流さずにいられる者はひとりとしていませんでした。

あなたを知ることができたのがソチ・オリンピックでのいちばんの収穫です。2018年の平昌オリンピックでも注目しています。いつか家族同士でお目にかかる機会が訪れますように。ぜひとも、実現できることを願っています。

お体、大切に。
スティーヴン・スピルバーグ



注目してほしいのは「涙を流さずにいられる者はひとりとしていませんでした」というくだりだ。我が家でもそうだったし、地球上の多くの家庭でそうだっただろう。このように、映画界に多くの傑作を送り出してきた監督が感情のこもった手紙を送ったということが、リプニツカヤのプログラムの芸術表現の完璧さと真実味という面において、もっとも有効な主張となるだろう。

伝説的なアスリートからも似たような感想が寄せられている。

「これは快挙だ。1998年の長野オリンピックで、アメリカの15歳のタラ・リピンスキーが金メダルを獲得したときと同じだ」とアレクセイ・ヤグディンが話している。ヤグディンもその演技で多くの観客の涙を誘ってきたスケーターだ。

「同じ15歳だから気に入っているだけだろうとみんなに言われるんですけど」とタラ・リピンスキーが言う。彼女はNBCの解説者としてソチを訪れていた。「でも、ちがいます。彼女は金メダルを獲得するだけのものを持っています。(中略)特別ななにかを持っているんですよ。スターとしての資質をね」

「ユリア・リプニツカヤの演技ったら、なんて完璧で美しいの! まだ15歳なのに。最後のスピンといったら……」世界的なテニス・プレイヤー、マリア・シャラポワがオリンピック中にそうつぶやいている。

だれかがそういった感情を引き起こすとき、それは単に偉業を成し遂げたというだけではなく、世界じゅうの人々の心に大きく貢献している。これはフィギュアスケート界においては、驚くべきことである。リプニツカヤは、フィギュアスケートどころか、スポーツそのものに関心のない多くの人の心まで動かしたのだから。フィギュアスケート界では長年、こんなことはなかった。

もちろん、オリンピックとヨーロッパ選手権の金メダルや、世界選手権の銀メダルを軽視するつもりはない。しかし、それ以上に重要なのは、リプニツカヤの演技が、さまざまな人の心の中の、純粋で真摯で奥深いなにかを目覚めさせたということだ。苦しみに満ちた現代社会において、そういった瞬間はますます貴重なものになっている。

また、リプニツカヤがフリープログラムで提起した問題の重要性も忘れてはいけない。残念ながら、いくつかの国において危険分子がまた生まれてきている、この世界では、ホロコーストの恐ろしさはしつこいほどにくり返し提起すべき問題である。それは地球上のだれもが思い起こすべき歴史であり、忘れるのはとても危険なことだ。

今年、リプニツカヤはほんとうに気に入った曲でしか滑らないことによって、その人間性を明らかにした。フリープログラムだけでなく、ショートプログラムの選曲においても、同じだ。マーク・ミンコフの『愛はまごころ』という曲は、ロシア以外の人にとっては聞き慣れたメロディーではない。”あまり有名ではない”曲を選ぶというリスクをおかしてでも、リプニツカヤはそれを選んだ。そして、それが正しかったことは彼女の演技によって証明されている。

この若きスケーターが尊敬に値する理由がもうひとつある。彼女が独立独歩の人間であるということだ。リプニツカヤは自分の力だけでここまで来た。与えられたものなど、なにひとつない。いま彼女が手にしているのはすべて、みずからつかみ取るしかなかったものなのだ。

ロシアの連盟の幹部に後ろ盾がいたことはない。ロシア・チームの一部のメンバーとはちがい、オリンピックに向けての準備中に特別待遇は受けていない。スポーツ省の専門家による”特別チーム”もついていなければ、練習のための潤沢な資金があるわけでもない。リプニツカヤが、ロシアでも、そのほかの国でも、大勢のふつうの人々にこれほど愛されているのは、それが理由なのかもしれない。

オリンピック後、ロシアのさまざまなポップスターやそのお仲間を含む、多くの人々がその名声に乗っかろうとした。しかし、このエカテリンブルク出身の少女にセレブな生活は無縁だ。彼女はいまも変わらず、平穏で静かな暮らしを好んでいる。多くの時間を苦しい練習に注いできた彼女には、それが必要なのだ。

今シーズンのリプニツカヤの演技はしばらく忘れられることはないだろうし、多くの人のオールタイム・ベストのプログラムに加わることはまちがいない。さらに私は確信している。彼女が『シンドラーのリスト』の演技で見せた鋭い視線は、何年たっても、私たちの魂の奥深くに突き刺さり、改めて涙を流させることだろう。心が洗われるような、しかし同時に、私たちの目をさまさせてくれる涙を。




★★★

長い記事を読んでくださってありがとうございました。
ずっと前にアウシュビッツ強制収容所跡に行ったことがあります。ある日、「そうだ、ポーランド行こう」と思いたち、ひとりで行きました。いまよりも時間もお金も自分で使えたころの話です。行って愕然としました。資料の陰惨さにではありません。あまりにも牧歌的な場所だったからです。広々として、緑濃く、花が咲き、蝶が舞い飛び、でも、その野原の中央には捕虜を送りこむ鉄道引き込み線があり、あちこちに収容所があり、悲惨な資料があり……。その落差に衝撃を受けたのです。

だから、この記者が書いているように、15歳のリプニツカヤ選手があえて『シンドラーのリスト』の曲を使ったことには大きな意味があります。羽生選手が、曲ちがいとはいえ、復興への思いをこめた『ロミオとジュリエット』を選んだのと同じくらいの、意志の強さを感じます。だって、羽生選手が言うように、彼らはアスリートであると同時にアーティストでもあるから。その演技によって、観客になにかを伝えることができるから。彼らはそれを自覚していて、さらに自分にはなにかを伝える責務がある、それだけの覚悟を背負っているように思えます。だからこそ、その演技に、そのひたむきさに、そこに秘められた強い覚悟に、研ぎ澄まされた固い意志に、がむしゃらな情熱に、観る者は惹かれ、心を揺さぶられるのだと思います。むきだしの魂が垣間見えて、もう目が離せない。



そうやって、いつのまにかヤバい人になっていた私ですが、きょうはね、もう余裕です!
パレード映像見ながら、にっこにこですよ!
もうね、投げKISS映像ですら、余裕で見られますから。
余裕で……(バタッ)









スポンサーサイト
[ 2014/04/28 17:38 ] ユリア・リプニツカヤ | TB(0) | CM(20)

羽生結弦選手の日本外国特派員協会での記者会見(4/24)

10177483_865524363473671_6578814482506793455_n.jpg


はあー、終わりましたね、記者会見。
あいかわらず、かっこよかったです。
しかし、通訳さん、うまっ。
完っ璧な通訳でした。
そんな彼女の英語をちゃんと理解して、補おうとする羽生選手、すごっ。
きっちり聞き取れてるんですね。

基本的に日本語でのやりとりでしたが、一部、質問が英語だったので、そこだけ訳してみました。
スウェーデンのおじさまの英語がちょっとわかりにくかったのですが、たぶんこんな感じということで。



1:22〜
共同通信「あなたは東日本大震災を体験されたときの話をされていますが、世界じゅうのたくさんの子どもたちや若者が自然災害や紛争や戦争に巻き込まれています。あなたが成し遂げたように、そういう若者たちが夢に向かって進んでいけるよう、励ましの言葉をお願いします」

羽生選手「まあ、あの震災についてだとか、そういうことについてぼくが語るのはちょっとむずかしいことはあるんですけど、ただ、ぼくは1スケーターとして一生懸命やりましたし、実際にいまここに首にかけている金メダルというものがなにか希望であったり、またはあの、なんですかね、みなさんが応援してくださった象徴みたいな、なにかひとつのものを目指してみんなが向いていた象徴みたいなようなものになっていたら、ほんとうにうれしいなというふうに思います」

「えー、また若い方々に対しては、えー、まあ、ぼくもまだまだ若いんですけれども(笑)、あの、とにかく自分がやりたいことを一生懸命やる、でも、それを達成したときに自分だけが喜んでいると思ったら、そうではなくて、そこにはぜったい応援してくれる方々がたくさんいらっしゃいますし、そこにサポートしてくださる方がいるから、自分たちはなにかを成し遂げられるんだと思います。その成し遂げられたこと、または達成できたことっていうのが、あの、ひとりだけではなくて、たくさんの方々といっしょにがんばった象徴、またはあかしみたいなものに気づけたらなというふうに思っているので、ぜひそういうものを感じていただけるようになったらなというふうに思っています」

1:37〜
スウェーデンの写真家さん「まず、金メダルおめでとうございます。いま、日本のフィギュアスケート界ではあなたに注目が集まっているように感じますが、あなたのスケーター仲間はどうでしょう? 彼らは取り残されて、自分だけが注目されている気がしますか? また、練習についてですが、さきほどのお話では、日本での練習時間はとても限られている、カナダのほうが環境が整っているということでしたが、いわゆるエリートである日本のほかの優秀なフィギュアスケーターたちはどうしているんでしょうか?」

羽生選手「えー。えー。えへへへ。あの、そうですね、あー……。すごいむずかしい質問です。ただ、あの、フィギュアスケートというのは、日本ではものすごく人気があります。ただ、あの、まあ、ぼくたちにとってはですけれども、たとえテレビにいっぱい映っていようが、たくさん写真を撮られていようが、やはり、ぼくたちはひとりのスケーターでありますし、やっぱり、1スポーツ選手だなという感覚はあります」

「なので、あの、とくべつぼくがちがうとか、たとえば高橋大輔さんがちがうとか、荒川静香さんがちがう、そういうような感じはぜんぜんなくて、ただみんな一生懸命練習をしていて、みんな、ぜんぜんちがう環境で練習をしている。ほんとうにただ、それだけかなというふうに思ってます」

マーティン・コリン「こちらから質問させてください。さきほどのトロントでのお話ですけど、ブライアン・オーサーとの練習であなたのスタイルは変わったのか、フィギュアスケートに対する考え方は変わったのかどうか、教えてください」

羽生選手「うーんと、ぼく自身のスケートのスタイルは変わってないと思います。ただ、あの、教え方というか、教え方もたぶん変わってはいないと思うんですけれども、ただ、試合直前の気持ちのコントロールのしかただとか、または練習中の、ほんとうに気持ちの面というものをひじょうにコントロールしてくれるなという感覚はすごくあります」

★★★

10247460_865524576806983_7321053891108096438_n.jpg

しっかりやりとりしていて、素敵でした!
そして、ゲストブックに記入中の姿がかわいすぎ。
プーさんも丸くてかわいかった。
「きみが大ファンだと聞いて、メンバーのひとりが探してくれたんだ。まだ持ってないといいんだけど、どうやらアメリカの特別バージョンなんだよ」とやさしく話しかける司会者さん。
オバマ大統領来日中のため、羽生選手の到着が交通事情で遅れます、というときにも、「いまのうちに名刺交換とかしておくといいですよ」なんて言ったりしてて、なかなかうまい仕切りでした。

しかし、きょうまでドキドキでしたね。
私なんて、週が明けたあたりから、すでに臨戦態勢でした。
なにしろ、今週は記者会見にパレードと大きな行事が目白押しです。
自然と気合も入ろうというものです。

数日前のことです。
木曜にはひとつ予定が入っていたのですが、念のため、金曜にずらしてもらい、ニコ動のタイムシフト予約も入れて、よし、あしたの準備は万全。
もう夜だけど、朝刊でも読もうかなっと。
ん? これ、きのうの新聞じゃん。あれ? 夕刊もきのうのしかないよ。
もう、誰だよ、新聞どっか持ってった人は……ほんっとに、もう。

しばらくして気づきました。
あれ、きょうって、もしかして火曜?
記者会見はあしたじゃなくて、あさって?
あれれれれ?

そう、水曜のつもりでいたら、まだ火曜だったのです!!
気づくと、頭の中で火曜日がすっかり消滅していたのです。
これぞ、愛は時空を超えるという証拠



……のわけないですね。
単なる「カ・ラ・マ・ワ・リ」
いちばんの得意技です。
がっくり。
がっくり

ではでは、次回はリリィさんによるリクエストシリーズ第1弾、リプニツカヤ選手の記事をご紹介します。
あしたから予定がいっぱい入っているので、週明けになりますが、
お待ちいただけたらうれしいです♪
[ 2014/04/24 18:43 ] 羽生結弦 | TB(0) | CM(14)

シカゴ・トリビューン紙(Chicago Tribune)2014.2.13記事訳

羽生結弦選手「金メダルおめでとう」パレード、なんとか資金調達のめどがついたそうですね。
よかった!
どうしてもっと早く……とかいろいろ思うところはありますが、
当日、気持ちよく晴れて、羽生選手のぴかぴかの笑顔が見られさえすれば、いうことなしですね。
私はテレビ越しの応援となりますので、各テレビ局さん、よろしくお願いします!

ぴかぴかの笑顔例その1
ぴかぴかの笑顔例その1

ところで、先日は、私のくだらないブラックアウト話@SOIに反応してくださって、ありがとうございました。
あのあと、ひとつ思い出したことがあります。
第2部のだれかの演目の途中で、ハビエル・フェルナンデス選手が一瞬現れて、撃たれて倒れるまねをしたんですね。
それがちょうど私のブロックの目の前で、まわりの人が「ハビちゃん、このためだけに出てきたんだ!」って話していました。
あれって、だれのどんなプロだったんだろ?
ともかく、ブラックアウト中でも、少しは意識が残っていたということですね。
それが、なぜ『花になれ』のときには頑として作動しなかったのか。
悔やまれる……。

きのうはきのうで、山芋の千切りをつくっているつもりが、いちょう切りになっていました。
しかたないので、そこから千切りにしました。
気づくと、まな板の上には、木っ端微塵になった山芋だったと思われるものが積まれていました。
なんだろ、これ。

もう、人としてヤバいレベル?
ネトゲ廃人ならぬ、スケート廃人?
いや、もしかしてスケ廃じゃなくて、はにゅ廃?
………………いやああああああ!!!!



などど、またもやどうでもいい話を書いているのはネタがないからです。
だって羽生選手はずっと日本にいるわけだし、海外のニュースとか記事とかないんだもん。

というわけで、きょうは少し前の記事、ソチの男子シングル・ショートプログラム後の記事をむりやりご紹介します。
ほぼ、知っている話ですが、蛸(!)と仔犬ちゃん(!!)のお話、どうぞお楽しみください♪

シカゴ・トリビューン紙
多大なる手脚と業績を誇る、日本のフィギュアスケーター

ct-hanyu-figure-skating-oly-0214-20140214-001.jpeg
日本の羽生結弦と日本スケート連盟小林芳子強化部長のキス&クライでの反応
ロイター通信:ルーシー・二コルソン撮影

ブライアン・オーサーが若き羽生結弦の才能とメンタルを調整してその将来を築く

シカゴ・トリビューン紙オリンピック担当記者
フィリップ・ハーシュ著
2014年2月13日
ロシア、ソチ

当初、羽生結弦はただ自由奔放に滑っていた。

ひょろひょろしたティーンエイジャー。しなやかな脚を持つタコさながら。その脚は氷の3メートル上を目指す。そのための方法もいとわず、転倒せずに着氷するにはどうすればいいのか、つかめないままに。

それが2012年の春、ブライアン・オーサーが17歳の羽生を指導しはじめたときの印象だった。

「はじめてユヅが来たとき、まるで16本の手脚があるように見えたよ」とオーサー。「だが、彼は独特のメンタルの持ち主で、そこが気に入った。たとえ、すこしばかりコントロール不能だとしてもね。多少、導く必要はあるけれど、それをつぶしてはいけないと思ったんだ」

それは、2011年3月11日、羽生が東日本大震災を直接、経験したときにも、折れることのなかった心だ。

そしてそれは、木曜の夜にアイスバーグ・スケーティング・パレスで、ショートプログラムにおける男子シングル初の100点超えを達成したときにも、華々しく発揮された。101.45点の得点が出て、金曜のフリープログラムを前に、3度の世界チャンピオンであるパトリック・チャンを3.93点リードしたのだ。

「きょうはほんとうに緊張しました」羽生は言った。「オリンピックが終わるまで、この緊張はとけないと思います」

その緊張も、羽生が約3年前に経験した不安には遠くおよばない。当時、彼は仙台のホームリンクで練習中だった。震源地から約85キロ離れた場所で、まわりのすべてが揺れはじめた。羽生はスケート靴を履いたまま、そとに逃げ出した。リンクの水道管は破裂した。

彼の自宅も被害にあい、家族ともども避難所である体育館へ行かざるをえなかった。3日後、彼らはリスクを承知で自宅に戻ることができたが、練習場所を失った。

羽生は仙台のリンクが再開するまでの4か月間、日本全国を回った。その翌シーズンは仙台ですごし、2012年の世界選手権では銅メダルを獲得した。

日本スケート連盟は、羽生がさらなる高みを目指すのなら技術を磨く必要があると考え、オーサーにコーチを依頼した。それからまもなく、羽生は母親とともにトロントに渡り、オーサーに師事した。オーサーはカナダ人で、オリンピック銀メダルを2度、獲得しており、2010年の冬季オリンピックでは韓国のキム・ヨナを女子シングルの金メダルに導いている。

「ユヅは仔犬みたいだったわ」とトレイシー・ウィルソンが話す。彼女はオリンピックのアイスダンス銅メダリストで、現在はチームで羽生を指導している。「ジャンプがダイナミックで、転び方も豪快だった。ただ、えんえんとそれをくり返すしかないんだけどね」

日本スケート連盟がオーサーに打診をしたとき、彼はすでにほかの外国人スター、ハビエル・フェルナンデスを指導していた。フェルナンデスはスペイン初の世界選手権メダリストとなり、木曜のショートプログラムでは、チャンから10点以上の差をつけられて3位についた。オーサーは羽生のコーチを引き受ける前にフェルナンデスの了承を得たという。

「ユヅは自己規律が身についたアスリートで、ハビのおかげで集中力が増して安定してきている」とオーサー。

羽生にはこれからも波乱に富んだ日々が待っているだろう。しかし、今シーズン、彼はずっと上り調子だ。12月のグランプリ・ファイナルのショートプログラムでは、当時の最高記録、99.84点を打ち出し、チャンを制した。

「あれが転機でした」とウィルソンは話している。

★★★

タコの足って8本じゃ……?

などど、細かいことはいいとして、「暴れ馬」(by オーサー)とか「闘牛場に入った牛」(by イタリアのマンマ)などと、荒々しい比喩をされがちな羽生選手ですが、さすが「(クリケットクラブの)リンクで一番、男」(by 羽生選手)なトレイシーにかかると「仔犬」ちゃんなのですね(笑)。

この記事を書いたシカゴ・トリビューン紙のフィリップ・ハーシュ記者は、「ソチ・オリンピックでもっとも忘れられないのは、だれかが成し遂げたことではなく、日本の羽生結弦の言葉だ」とつぶやいてくれた人です。言うまでもなく、羽生選手の「ぼくひとりが頑張っても、復興に直接、手助けになるわけじゃない。無力感も感じる。何もできていないって感じる。金メダリストになれたからこそ、復興のためにできることがあるはず。これがスタートになると思います」という発言を指しています。そのスタートとなる、地元での凱旋パレード。仙台には行けないけど、心から成功を祈っています。
[ 2014/04/22 10:57 ] 羽生結弦 | TB(0) | CM(25)

日本外国特派員協会における羽生結弦選手の記者会見の予定

日本外国特派員協会のサイトに羽生結弦選手の記者会見の予定が掲載されたので、ご紹介します。

羽生結弦選手 記者会見
ソチ・オリンピック フィギュアスケート男子シングル 金メダリスト
2014年世界選手権 金メダリスト


2014年4月24日(木)15:45-16:30
スピーチと質疑応答は英語の通訳つきで日本語で行われる。

フィギュアスケート男子シングルで、日本人としてはじめてオリンピック金メダルを獲得した羽生結弦は、日本の最愛の息子であり、兄弟であり、恋人である。

彼はフィギュアスケート男子シングルで日本初のオリンピック金メダルを獲得することによって、歴史をつくり上げ、母国を興奮の渦に巻き込んだ。

羽生結弦。つねに自分を見失うことなく、心揺さぶる物語――仙台出身で、3/11の東日本大震災の日には地元のリンクで練習中だった――を抱えた、この落ち着き払ったティーンエイジャーは、日本最愛の息子であり、兄弟であり、恋人となった。恋人という意味では、先月、さいたまスーパーアリーナで行われた世界選手権では、ショートプログラム直前の静かな瞬間に、ひとりの女性ファンが恋心を募らせるあまり、ひどく甲高い声で「ゆづる、愛してる!」と叫び、彼を応援する人たちの顰蹙を買った。ふだんショートでミスをすることのない羽生がこのときには転倒し、多くの人がタイミングの悪い歓声のせいで集中力が欠けたのだと考えた。羽生自身はいつもどおりの礼儀正しい穏やかな口調で、無関係だと否定した。

羽生は3年前、わずか16歳のときに故郷が地震に見舞われ、厳しい競技生活どころか、ふつうの生活を続けていけるのかどうかすらわからなかったという。ホームリンクは被害を受けて閉鎖され、将来の見通しは暗いと思われた。そのときのことだった。多くの人々――トリノ・オリンピックの金メダリスト、荒川静香をはじめとする先輩スケーターや、民間人――が寄付を募ったり、アイスショーを企画したりして、彼が練習を続けられるよう、支援したのだ。羽生はまず、横浜に移り、その後、カナダのトロントに移って、カナダ人のブライアン・オーサー・コーチに師事した。

その後はすでに歴史となっている。オーサー・コーチ自身はフィギュアスケート男子シングルの「カナダの呪い」の犠牲者だ。カナダの呪いについては羽生も無縁ではなかった。ライバルであるカナダのパトリック・チャンとソチで闘ったのだ。羽生はフリープログラムで2回、転倒し、チャンが金メダルに近づいたかに見えたが、最終的にはその芸術的な滑りで切り抜け、勝利を東北の人々に、そして、まずは彼が生き延びることができるように、その後は勝利をつかめるように支援した人々に捧げた。

ファンがみずからを”ユヅリスト”と自称する、この若者に会いに来てほしい。

☆☆☆

えっと、一部、字が小さいのは故意です。すみません。
これって浅田選手が「ハーフハーフ」と答えた、あの日本外国特派員協会の記者会見ですよね。
ぜひぜひ、生放送ノーカット完全版で放送してくれないかなーと期待しています!
期待するのはタダなので! はい!
またテレビの前で正座して待ってますので!
(追記:この記者会見、ストリーミングで見ることができて、後日、アーカイブでも見られるそうです。リリィさん、教えてくださってありがとうございます!)

しかし、きょうの東京は1日、雨ですね。
きのうの園遊会は晴れてよかった。
おひさまもぴかぴか。
羽生選手の笑顔もぴかぴか。
それを見た人たちの心もぽかぽかになった1日でした。
[ 2014/04/18 15:17 ] 羽生結弦 | TB(0) | CM(16)

International Figure Skating Magazine April 2014の記事訳(2)

BlZX2iiCYAAUYeM.jpg
写真は朝日新聞社皇室担当、中田絢子記者のtwitterより。園遊会に出席する羽生選手。
※記事と写真は無関係です。単にかっこいいから。てへ。注目すべきはここでは見えない袖の長さですが、さあ、ぴったりなのか、それとも安定の萌え袖か!?←追記:安定の萌え袖でした!


なんというか、ひじょうに濃い1週間でした。

金曜はスターズ・オン・アイスに行き、土日はデパ地下で仙台の牛たん弁当を購入(土曜に自分のだけ買って帰ったら、家族にいいなーと言われたので、翌日は全員ぶん買いました。おいしかった!)。きのうは、羽生選手凱旋パレードの予算が不足していると聞き、お財布を握りしめて銀行へ(募金先はこちら)。すると、少し前にした仕事のぶんが入金されていて、その一部を寄付。帰宅したら、神戸のお友だちにダビングを頼んでおいた、関西テレビ放送の大阪エキシのDVDが郵便受けに入っていて歓喜。『花になれ』と4T-3A-3A-3Aの変態ジャンプ(笑)を堪能。あとは、テレビ東京のSOIの放送を待つばかり。わくわくわく。

羽生選手、最高でした!
日本人選手のグループナンバーも(スロー再生GJです)、美しい『花になれ』も、楽しそうなインタビューも、舞台裏の笑顔も、ばっちり映っていて、幸せでした。
本人の解説つきで過去のショーが見られたのもよかった。
でもでも。
ジェフリー・バトルの、あのクールなグループナンバー×2はーーー?
映像で観るの、楽しみにしてたのに。
ハビエル選手も一瞬、ちらりと映っただけ。
ショックでニースの羽生選手みたいにぱたんと倒れたら、家族に「マジで倒れてる」と笑われました。
ぐすん。
別枠でショー全部を放送してくれればいいのに……。
でも、放送があるだけ幸せですよね。
贅沢言っちゃだめですね。
きょうはテレビの前で正座して園遊会を待つことにします。(※)

え?
SOIに行ったはずなのに、感想がどこにもない?
それがですね……。
第2部の最初に日本人のグループナンバー、『家族になろうよ』があったわけです。
私は隅っこのブロックにぼけっと座っていたのですが、途中で羽生選手がすーっとこっちに滑ってきて、フェンス際で止まって、にこっ。

パチン!
その瞬間、脳内ブレーカーが落ちました。
ブラックアウト。



……気づいたら、ギネス認定式がはじまってました。
(つまり、第2部が全部飛んでる)
なにしに行ったんだ、私!
この、この、脳みそのポンコツぶりが恨めしいーーー!
試合のときやプレカンのときとは別人のような、ふんわりとやわらかい笑み。
あやうく召されるところでした。

帰宅してから、家族に「どうだった?」と聞かれました。
「夢のようだった……」と吐息混じりに答えたら、笑われました。
いや、マジで夢のようだったんだってば。
ろくに記憶ないんだってば。
……はあ。

夜中に『家族になろうよ』を聴きながら、泣きました。
いろんな意味で。


なんて、私のしょうもない話はどうでもいいですね。
きょうはInternational Figure Skating Magazineの記事の一部を追加でご紹介します。
クリケットチームに関する部分のみ、ランダムにご紹介しますね。
そうそう、キャノンのHPにハビエル選手のすてきなインタビューがあったので、よかったらどうぞ。
では、記事訳に行きます。

20140417_160754.jpg

日本が団体戦5位に羽生は4回転トゥループとトリプル・アクセルを含むショートプログラムで手堅い勝利をおさめて、団体戦としての責任を果たした。彼はみずからがヒーローと崇めるプルシェンコのそばで滑ることができて感激だと話した。

「同じリンクに立てるだけでうれしいです」と羽生。「すごく緊張しました。これがオリンピックなんですね。すばらしいスケーターばかりです」

ブライアン・オーサーによると、団体戦に向けて選手の調子を整えるのはどのコーチにとっても新しい経験だと話した。「だれにしてみても、すごくおかしな感じだったよ――アスリートにとっても、コーチにとってもね」団体戦のショートプログラムが行われる日の午後は、ずっとどうすべきかわからなかった。力を残しておけとは言えないからね」


20140417_160738.jpg

選手&コーチ語録ブライアン・オーサーが試合前にハビエル・フェルナンデスへの声かけで、「きょう、出場するのはまったく新しい試合だ。きみはオリンピックに出場したことがあるが、今回はちがう。前回は出場することに意味があった。今回はメダルを獲りに来たんだ」


20140417_160718.jpg

プルシェンコ選手の棄権について羽生結弦選手
「彼のおかげでスケートを始めました。彼のことを心から尊敬しています。ぼくに言えるのは”長いあいだ、感動できる演技を届けてくれてありがとう”ということだけです」

ハビエル・フェルナンデス選手
「子どものころ、彼はぼくのアイドルのひとりでした。世界じゅうで過去最高のスケーターのひとりです。悲しいけど、これが人生なんですね」



20140417_160812.jpg


カナダの銀メダルの系譜(※パトリック・チャン選手のインタビューですが、オーサー・コーチの人柄が表れているので、ご紹介します)


フィギュアスケート男子シングルの最終戦は、ブライアン・オーサー・コーチにとって複雑なものとなっただろう。彼がコーチを務める羽生結弦が、母国カナダのパトリック・チャン選手を制し、金メダルを獲得したのだ。オーサーは自分の教え子が勝ったことにあきらかに喜んでいたが、チャンの心中も察していた。

オーサーにはチャンの置かれた空間と場所が理解できる。ちょうど26年前、オーサーは、チャンがいま、置かれているのと同じ立場にいた。カルガリー・オリンピックに世界チャンピオンとして出場し、銀メダルを持ち帰ったのだ。その記憶から、オーサーはチャンをハグした。「ユヅをハグしたときよりも、こみあげるものがあったよ」オーサーはそう話し、その敗北を乗り越えるのに何年もかかったとつけ加えた。

オーサーが1988年のカルガリー・オリンピックでの自分の演技を見返すことができるようになるまでに、10年の歳月を要した。彼はチャンが同じ運命をたどることがないよう願っているという。

翌日の記者会見で、チャンはオーサーの気遣いに心を打たれたと話した。3回連続の世界チャンピオン、現世界チャンピオンとして、もっとも栄誉ある賞を獲れなかったという事実を受け入れるのに、これからつらい時期が待っていることは承知していると話した。

「あのひとつひとつの瞬間のこと、すべてを変えたかもしれない、あの何分の一秒かのことばかり考えてしまって、ゆうべは4、5時間しか寝ていないんです」チャンはフリープログラムについてそう話した。「幸い、ぼくには話を聞いてくれる相手――ガールフレンドや両親、友だちにコーチ――がいて、それを乗り越えるのを助けてくれました」

「ありがたいことに、ぼくのまわりには、支えてくれる、すばらしい人たちがいます。なにがあろうとぼくを愛してくれて、どんな道のりであろうと支えると言ってくれる人たちがね」

「そうやって乗り越えていきます。文字どおり」チャンは感情があふれ出しそうになるのを抑えながら言った。「でも、ブライアンが言ったように、簡単なことではありません。ベッドに入って、すべてを変えたかもしれない、あのいくつかの何分の一秒かのことを確実に考えずにすむようになるのには、何年もかかるでしょう」

チャンの頭から離れないのは、まちがいなく、自分が金メダルを獲るはずだったという思いだろう。羽生はショートプログラムで世界最高記録を樹立し、チャンを4点上回ったが、この若き日本のスターはフリープログラムで金メダルへの扉を大きく開け放ったのだ。

チャンが金メダル獲得に必要なのは、安定した演技をすることだけだった。しかし、プログラム冒頭で4回転トゥループ―3回転トゥループのコンビネーションを決めたあと、歯車が狂った。アメリカのジェレミー・アボットとはちがい、チャンはその残念な結果について、自分自身を責めるしかなかった。

チャンは引退の可能性についてほのめかし、このあとに日本の埼玉で行わなれる世界選手権に参加するかどうかについては明言を避けた。「世界選手権では3度、勝っているので、また勝てるかどうかわかりません。すごく疲れました。これからのことを考える時間と自分のための時間をとる必要があると思っています」

チャンは男子フィギュアスケートでオリンピック金メダルを逃した、カナダの7人めの世界チャンピオンである。


☆☆☆

パトリック……(涙)。
それにしても、オーサー・コーチはほんとうにいいコーチなんだなと改めて思いました。
技術だけでなく、メンタル面でも、だれよりも選手の気持ちを理解できる。
クリケットクラブ、最高です。
そして園遊会での羽生選手の笑顔も最強でした……。

(※)5/11にBSジャパンでノーカット完全版が放送されることになりました。
やったー! ピーピピピーがまた観られる!(嬉)
[ 2014/04/17 13:29 ] その他 | TB(0) | CM(14)

International Figure Skating Magazine April 2014の記事訳(1)

きょうはInternational Figure Skating Magazineの2014年4月号の記事をご紹介します。

さて、こちらの雑誌はソチ・オリンピックの特集号なのですが、つい2か月前のことなのに、なんだかもう、ずいぶん昔のような気がします。

YUZURU HANYU
Historical Victory For Japan's Golden Son

羽生結弦
日本の黄金に輝く太陽である若者が歴史的勝利をおさめる※1

516NDY79nIL.jpg

20140417_160827.jpg


オリンピックの祭典
ホットで、クールな、みんなの、私たちの大会※2


冬季オリンピックの舞台として、これ以上に美しい場所は想像できない。海辺のリゾート地であるソチは、ロシア南部の黒海に面し、亜熱帯気候で、世界最高のショーを開催するのに理想的な場所であることが証明された。第22回冬季オリンピックでは、驚くべき結果がいくつも生まれた。ソチでくりかえし目の当たりにしたように、確実なものなど、なにもない。どの選手が勝つかは、だれにもわからない。

写真と記事:スーザン・D・ラッセル

フィギュアスケート男子ショートプログラムでは、トップクラスの選手たちが氷上に上がるより、ずっと前にドラマがはじまっていた。

まずは、エフゲニー・プルシェンコの棄権。第2グループの6分間練習の直後のことだった。

同じグループでは、アメリカのジェレミー・アボットが4回転トゥループで激しく転倒し、フェンスに激突。観衆の大きな声援に引っ張りあげられるようにして体勢を立て直し、演技に戻るのに、数秒を要した。「観客の声援が聞こえて、なにがあろうと、最後まで滑り切らなければならないと気づきました」とアボットは話している。

しかし、ドラマといえば、最終滑走グループであり、ふたりのライバル間で繰り広げられるであろう闘いにほかならなかった。冬季オリンピックまでの数か月で、日本の羽生結弦とカナダのパトリック・チャンの順位が入れ替わったのだ。

グランプリ・シリーズで闘った3大会のうち、2大会では、チャンが羽生を制した。しかし、グランプリ・ファイナルでその順位が入れ替わった。羽生がチャンを上回り、ソチでの最終決戦への舞台を整えたのだ。

オリンピックでは、まずは羽生が優位に立った。『パリの散歩道』にのせたショートプログラムの演技が大喝采を博したのだ。羽生は頭を下げておじぎをすると、ブライアン・オーサー・コーチのほうを向いて、にっこりとほほえんだ。得点が発表されると、彼が満足するのも当然だと思われた。19歳の羽生は101.45点という世界最高得点を打ち出し、史上初の100点超えを達成したのだ。

「とにかくうれしいです。100点超えは考えてなかったけど、自分にできる最高の演技をしようと思っていて、それができました」と羽生。「点数には、ほんとうにほんとうに驚いています」

「リンクから戻ったとき、ブライアンが“きみを心から誇りに思うよ”と言ってくれたんです。それを聞いて、すごくうれしかったです」

母国の期待を背負って、チャンがショートプログラムにのぞんだ。羽生の点数を上回るにはミスは許されない。4回転トウループ―3回転トウループのコンビネーションと3回転ルッツはきれいに決まったが、トリプルアクセルの着氷が乱れた。ラフマニノフの『幻想的小品集より第1番エレジー』にのせたショートプログラムの得点は97.52点だった。

舞台裏で、チャンは2位であることは気にしていないと話した。「団体戦よりはずっと調子が上がっています。4回転トウループ―3回転トウループのコンビネーションは成功したし、トリプルアクセルにも自信が持てるようになってきました。すこし高すぎて、回りすぎで着氷が乱れたんです」

「4点差なら、フリープログラムで挽回したことがあります。長いフリープログラムにはたっぷり蓄えがありますから。それに、練習も積んできたからだいじょうぶです。あしたはまったく新しい日で、まったく新しい闘いになるでしょう」

スペインのハビエル・フェルナンデスは4回転サルコウと3回転ルッツ―3回転トウループのコンビネーションの着氷が乱れたが、3位につけた。得点は86.98点。「きょうは調子がいまひとつで、ずいぶんバランスを崩してしまいました。そういうときには最後まで闘いつづけるしかない。だから、そうしました。まだ勝負はあきらめてません」

高橋大輔は4回転トウループが若干乱れて、86.40点で4位につけた。

1位と2位は3.93点差。フリープログラムに向けて、重圧がのしかかる。

最終グループの3番滑走となった羽生は『ロミオとジュリエット』にのせたプログラムでスタート。4回転トウループを決めて、そのほかに3回転ジャンプを7回決めた。しかし、2度の転倒――1度は4回転サルコウ、2度目は3回転フリップ――というミスをおかした。彼の最高の演技からはほど遠く、プログラムを終えると、両手を氷についてひざまずいた。たったいま、金メダルがその手からこぼれ落ちていったのを感じているにちがいなかった。

不安になるのもむりはない。頭上に表示されたフリープログラムの得点は178.64点で、自己ベストには遠く及ばなかった。SPとFSの合計が280.09点で、暫定一位。オーサーは心配いらないと羽生に声をかけた。闘いはまだ終わっていない、と。

扉は開かれた。チャンはその扉をくぐりさえすればよかった。『四季 協奏曲第2番と協奏曲第4番』に載せた演技が始まり、4回転トウループ―3回転トウループのコンビネーションを決め、さらに4度の3回転ジャンプを決めた。しかし、その日は技術的に好調とは言えなかった。

続く4回転トウループとトリプルアクセルで手をついてしまう。3回転サルコウが2回転となり、ダブルアクセルも乱れた。

演技を終えると、チャンは氷上に片膝をついて、あきらかにいま起きたことについて振り返り、いまの演技では羽生を超えるにはおそらく足りないと悟っているようだった。

チャンがやっとの思いでスコアボードを見上げると、得点が発表された。その顔に落胆の色が広がった。フリープログラムの得点は178.10で、羽生の得点には0.54点及ばない。SPとFSの合計は275.62で、金メダルを獲得するには4.47点足りなかった。

“Oh my God, I am so surprised. I can’t find the words. I am just shocked.”(ええっ、びっくりです。言葉がないですね。ただもう、驚きです。)羽生は自分が1位だと知らされて、そう言った。「オリンピックではなにが起きても不思議じゃなくて、予測がつきません。金メダルを獲ろうとは考えないようにしてましたが、プレッシャーがあまりに大きくて、無視できませんでした。ひとりの日本人として、この結果を誇らしく思います。試合でこんなに緊張したのははじめてです」

チャンは舞台裏で長い時間を過ごし、気持ちを立て直してから、大勢のマスコミと向き合った。「すべての要素をひとつひとつしっかりと決めるつもりでした。自分自身に集中したかったけれど、いくつか小さなミスをしてしまいました。残念ですが、人生はこれからも続いていきます」とチャンは語った。「もう一度、やり直せるとしても、何も変えるつもりはありません。ただ、2回転になったジャンプを3回転で跳び、しっかり着氷する。これで終わったことにほっとしています。自分が転倒しなかったことにも」

当時、世界選手権の銀メダリストだったカザフスタンのデニス・テンは、ショートプログラムでミスが目立ち、メダルからは遠い9位に終わった。しかし、この意欲あふれる若者はフリープログラムで不死鳥のように飛翔して燃え上がり、4回転トゥループ、そして3回転ジャンプを7回飛んで、255.10点を打ち出し、3位への大躍進を遂げた。

「きょうは大きなことを成し遂げることができました」テンはカザフスタンに史上初のフィギュアスケートのオリンピックメダルをもたらした。「これは母国と母国の人たちへの贈り物です」これは、2014年冬季オリンピックでカザフスタンの選手が獲得した唯一のメダルでもあった。

フェルナンデスはフリープログラムにかかるプレシャーのもと、253.92点で4位に終わった。テンとの差は約1点だ。「あと一歩で表彰台にのぼれたのだから、言うまでもなく、残念です」22歳のスペイン人、フェルナンデスがそう語った。「いくつかミスはありましたが、もう少し高い点数が出ることを期待していました。まだ若いし、今後のオリンピックにも出られると思います」

※1
Golden Sunは「黄金に輝く太陽」という意味。ここではGolden "Son"と書き、Sun(太陽)とSon(息子、若者)をかけていると思われます。もちろん、"Golden"の黄金は金メダルにかけてあります。この雑誌では、以前の特集でも"YUZURU HANYU Japan's Rising Son"と書き、"Rising sun"(昇る太陽)と"Rising son"(躍進中の若者)をかけて、「太陽が昇るように躍進中の若者」と呼んでくれています。
※2
ソチオリンピックのテーマは"Hot. Cool. Yours."(ホットで、クールな、みんなの大会)。この記事のタイトルはそれをもじっています。

☆☆☆

あれっ、なんか知ってることばかりで訳すまでもなかった……?
えっと、まあ、こんなふうに取り上げてくれてますよ、というご紹介です^^;。
表紙以外に羽生選手が映っている写真が5枚あります。
真央ちゃんのすてきな写真もありました。
Amazonマガマートで購入できます。

さて、次回は、同じ雑誌内のちょっとした記事を訳してご紹介しようと思います。

きょうも読んでくださってありがとうございました!
[ 2014/04/14 17:46 ] 羽生結弦 | TB(0) | CM(9)

世界選手権ショートプログラム:羽生結弦選手とブライアン・オーサー・コーチのキス&クライでの会話@さいたまスーパーアリーナ(World Figure Skating Championships:2014.3.26)

Yuzuru+Hanyu+ISU+World+Figure+Skating+Championships+_3v_0iFYk7Hx.jpg

さて、きょうは先日、行われた、世界選手権ショートプログラム後の、羽生結弦選手とブライアン・オーサー・コーチの会話をご紹介します。オーサーがこんなふうに言ったらしいという話は聞いていたのですが、BSで世界選手権ショートプログラムが放送され、ようやく確認することができました。BSの場合、副音声で解説の音声を消すことができるんですね。たぶん、こう話していると思われます。


〈会場音〉世界フィギュア2014 SP 羽生結弦 Yuzuru... 投稿者 yusu01207

羽生選手(リンクから上がって)「まあまあかな」"Not bad."
オーサー「ああ、よかったよ。いい出来だ。よかった」"That's right. That was good. Fine.That's fine."
羽生選手(リンクに向かって)「ありがとうございました」
(キス&クライに入る)
羽生選手「びっくりした」"I was surprised."
オーサー「こっちのほうがびっくりしたよ」"I was more surprised."
羽生選手「あはは」"Haha"
オーサー「(すみません、ここ、わかりません)なにがよかったか、わかるかい。アクセルがすばらしかった」"(?????) You know what was nice. Accel was amazing."
羽生選手「そうだね」"Yeah yeah."
オーサー「ルッツ―トゥもすばらしかった。スピンもすばらしかった」"Lutz-toe was amazing, spins were amazing."
(そこからしばらくふたりで再生映像を観ながら、最初の4Tの転倒の場面でオーサーがほめたり―もしかして、立ち上がりの早さをほめているのかな?―、その後、3Aについてふたりでばっちりだったと言い合ったりしていると思われます)
羽生選手(テレビカメラに向かって)「ありがとうございました」
(横でオーサーが大きな拍手)
放送「得点の発表です」"The score please."
オーサー「90点台だね」"90 something."
放送「羽生さんの得点、91.24」
オーサー「よし」
(暫定2位だという放送が入り、オーサーが羽生選手の肩をたたいて)
オーサー「さあ、次はすばらしいフリープログラムを見せてやろう」"It's time to do an amazing free program."
羽生選手「そうするよ」"I will."
オーサー「ああ、きみならできるさ」"Yeah, I know you will."
羽生選手「やるしかない」"I have to."
オーサー「だな」"Yeah."

羽生選手の受け答えもかっこいいし、オーサー・コーチの声かけもすてき。
ふたりの信頼関係の強さがうかがえて、ぐっと来たのでした。

週末は留守にするので、IFS訳は週明けにアップします
みなさま、よい週末を♪
きょうも読んでくださってありがとうございました!
[ 2014/04/12 09:43 ] 羽生結弦 | TB(0) | CM(6)

Businessinsider.com:圧倒的強さを誇る、現役アスリート トップ50(The 50 Most Dominant Athletes Alive)記事訳

きょうはbusinessinsider.comの記事をご紹介します♪

圧倒的強さを誇る、現役アスリート トップ50
(トニー・オリベッロ著)

アスリートに圧倒されるのは、単なる勝敗によるものではない。

それは、規模のちがいである。どれだけ容赦なく相手を倒したか、どれほどの得点を叩き出したか、標準的な相手をどれだけ上回ったか。

私たちはファンとして、その圧倒的強さに惹かれるのだ。だからこそ、レブロン・ジェイムズの一挙手一投足に注目が集まり、タイガー・ウッズが日曜に試合に出ると、いまだにだれもが彼の姿を探す。

では、ここで腰を落ち着けて、現役のアスリートのうち、圧倒的強さを誇る選手はだれか、ランクづけしてみようではないか。

以下に挙げるのは、伝統的な定義で言うところの「最高」の選手ではないかもしれないが、非の打ちどころのない運動能力と驚くほどの数値を叩き出すタイプの、圧倒的強さを誇るアスリートである。

リスト作成とランクづけは、Business Insider Sports’のコーク・ゲインズ、リー・ゴールドマン、トニー・マンフレッド、トニー・オリベッロによる。


33位 羽生結弦

n-HANYU-large570.jpg


フィギュアスケーター、日本

羽生はショートプログラムの得点が100点を越えた唯一のフィギュアスケーターで、101.45点という世界記録を樹立した。この得点を活かし、日本の男子フィギュアスケート界に初の金メダルをもたらした。

この64年間(※)に行われたオリンピックで、最年少の金メダリストである。

☆☆☆

パチパチパチ!!!!

やっぱり、こうやって認められるとうれしいです!

そのほか、日本人選手としてはダルビッシュ選手(27位)が、フィギュアスケーターとしてはチャーリー・ホワイト&メリル・ディヴィス選手(19位)等がランクインしています。

あす、4月11日(金)には浅田真央選手、羽生結弦選手が世界最高得点を出したということで、スターズ・オン・アイス公演のあと、ギネス世界記録認定式が行われるそうですね。楽しみ♪

きのうは、羽生選手が札幌でのスーパースターズ・オン・アイスのフィナーレでクワド・ループ(!!!)を跳んだという恐ろしいニュースも入ってきましたし、今後の彼の活躍を見守っていけるのがうれしいような、ちょっぴり怖いような、そんな気持ちです。

ではでは、きょうも読んでくださってありがとうございました!


※注
実際には、ディック・バトンが18歳で金メダルを獲得したのは1948年なので、66年前。というわけで、この数字はまちがっていると思われます。〈追記〉←と思ったけど、まちがってないですね。この64年間で最年少なのはたしかですもの。というわけで、まちがっていたのは私です^^;。
Wikiより:2014年2月14日時点で羽生は19歳65日という年齢であり、フィギュアスケート男子シングルの金メダリストとしてはディック・バトン(アメリカ合衆国)が1948年のサンモリッツオリンピックで優勝した際の18歳202日に次ぐ史上2番目の年少記録となり、66年ぶり2人目の10代での金メダリストになった。

※注2
記事で使われている写真は見つけられなかったので、別の写真を入れています。
[ 2014/04/10 12:44 ] 羽生結弦 | TB(0) | CM(2)

翼の王国 国際線版 WINGSPAN 2013/11月号 羽生結弦インタビュー"A Moving Figure"

あれ、International figure Skatingの記事は?と思われた方、すみません。長くてなかなか終わらないので(しかも、インタビューじゃないし)、去年の記事ですが、ANAの広報誌『翼の王国』の国際線版、WINGSPAN(2013年11月号)のインタビュー記事"A Moving Figure"の訳をご紹介します。

※バックナンバー、いまでも購入できます→こちらから。(写真は全部で9枚。Tシャツ姿が1枚と、あとはUA姿の写真。そのうち2枚ではANAと書かれた白い上着を着ています。UA好きにはとくにオススメ!)

2.jpg




注目の人物
インタビュー:チャールズ・T.ホイップル
写真:ストレイトン・ケン

20140409_100031.jpg

羽生結弦は日本のフィギュアスケート界の新星のひとりだ。2011年にシニアに移行して以来、2012年の世界選手権では銅メダル、2012年、2013年の全日本選手権で金メダルを獲得している。そんな彼は大いなる困難を乗り越えてきた。故郷の街が東日本大震災に遭い、数日間の避難所生活を余儀なくされたのだ。スケートはもう続けられないとさえ思った。しかし、家族やファンやほかのスケーターの励ましのもと、彼はさらに強くなって戻ってきた。現在はカナダに拠点を置き、オリンピック金メダルを目指して、みずからのスケートに磨きをかけている。

東日本大震災のあと、神戸でのチャリティー・アイスショーに招かれました。ぼくの故郷の被災者を支援するチャリティーです。ぼくのホームリンクも大きな被害を受けたので、みんなが声をかけてくれました。「こっちのリンクに来て練習しなよ」って。もうすぐオリンピックですけど、応援してくれた人たちに恩返しするためにもいい結果を出さないと、と思っています。


Q:日本からカナダに拠点を移しましたね。なぜカナダに?

A:英語が大変で……。でも、カナダには外国人がたくさんいて、英語がうまい人ばかりじゃないとみんなわかっているから、こちらの話にじっくり耳を傾けてくれるんです。

なぜカナダかと言うと、その答えは簡単です。いっしょに練習したいスケーターがいるから。前から4回転ジャンプをうまく跳びたいと思っていて、そのスケーターが4回転を得意としているんです。彼といっしょに練習できたら、彼から4回転ジャンプを学べると思ったので。

Q:ほかのスケーターたちから学んでいるということですか?

A:ぼくとしては、スケーターとして成長するにはそれがいちばんだと思っています。なにかを得意とする選手がいるということはコーチの教え方がうまいということでしょう。だから、彼と同じ環境に入って、その技術を身につけ、彼のシステムの中に身を置きたかったんです。

Q:効果はありましたか?

A:ええ、あったと思います。たとえば、練習したくないときや、練習がうまくいかないときもあるけど、そういうときこそ、同じリンクに自分よりうまいスケーターがいることが大事なんです。もちろん、ブライアン(・オーサー・コーチ)もそこにいて、的確なアドバイスを与えてくれる。その結果、練習にも身が入るし、「ばかばかしい。しっかりしろ。氷と向き合え。やるんだ」と自分に言い聞かせるんです。

Q:プロのアスリートはよくイメージ・トレーニングが結果に大きな役割を果たすといいますよね。

A:ええ、イメージ・トレーニングは大切です。毎晩、頭の中でプログラムをおさらいしています。といっても、長くて4分ですけど、頭の中で最低3回は自分のプログラムのおさらいをするわけです。ぼくにはそれがとても重要なんです。だって、考えてみてください。スケートはどこでもできるわけじゃない。だからこそ、イメージ・トレーニングが重要になってくるんです。それなら、どこでもできますから。

Q:スケーターの養成方法は、カナダと日本ではちがいますか?

A:環境がぜんぜんちがいますね。日本にはリンクが少ないから、フィギュアスケートに割り当てられる時間がそれほど多くないんです。カナダではスケートの認知度が段違いですね。

たとえば、ぼくが所属しているのはフィギュアスケート専用のクラブで、独自のリンクを持っています。ぼくはリンクでの練習は時間内できっちり集中して終わらせたいタイプなんです。あとは自宅で過ごしたり、ワークアウトをしたり、イメージ・トレーニングをしたり、いろいろしています。

Q:家族や友人と離れてカナダへ来たわけですが、ホームシックにはかかりませんでしたか?

A:仙台を離れるのはさみしかったです。でも、母が同行してくれましたし、カナダに来たのはスケートするためなので、ホームシックなんて言ってる場合じゃありません。

Q:国がちがうと、観客の反応もちがいますか?

A:大会によるんじゃないでしょうか。オリンピックには世界じゅうからいろんな人が来るでしょうね。世界選手権のときには、日本からたくさんのファンが来てくれるのがほんとうにうれしいです。自分のプログラムのすべての要素に完璧な自信を持てることはないから、大勢のファンの人が応援してくれると、ぜんぜんちがいますね。少なくとも、ぼくはそうです。

Q:あなたは日本の東北地方の仙台の出身ですね。2011年3月11日に東日本大震災が起きたとき、どこにいましたか?

A:リンクで練習中でした。すごく怖かったです。スケートは続けられないと思いました。4日間、避難所で暮らし、そのあいだ、いろんなことを考えましたよ。「いまはスケートなんてしてる場合じゃない。ほかにすべきことがある。生きていくことについて考えないと」って。

しばらくスケートから離れていましたが、やがて練習をはじめました。神戸でチャリティー・アイスショーが企画されて、神戸は1995年に大きな地震に見舞われた街なんですけど、その主催者がぼくに声をかけてくれたんです。それが東北地方の被災者支援のチャリティーだったので、ぼくが滑ることで貢献できるのなら、やらないと、と思ったんです。

さっきも言ったように、ホームリンクが大きな被害を受けたので、練習ができません。すると、あちこちから電話やメッセージが届いたんです。「こっちに来て、練習しなよ」って。ほんとうに大勢の人がそうやって声をかけてくれました。すごいことですよね。

スケートを再開したことも、アイスショーに出演したことも、後悔はしてませんが、当時はそれでいいのかとずいぶん悩みました。でも、いまではみんなが応援してくれて、そのことがもうほんとうにうれしいです。もうすぐオリンピックですけど、応援してくれた人たちに恩返しするためにも、いい結果を出さないと、と思っています。

Q:どうやって「恩返し」をするか、考えていますか?

A:ええ。ぼくのホームリンクは2004年に閉鎖されました。でも、2006年に荒川静香さんが金メダルを獲り、オリンピックメダリストとしての彼女のサポートによって、2007年に再開されたんです。日本にはスケートリンクがそれほど多くないので、オリンピックで金メダルか、それに近いメダルがとれて、最終的にちゃんと稼げるプロのスケーターになれたら、具体的な形で貢献したいと思っています。

(注:荒川静香は仙台出身のフィギュアスケーターで、日本ではじめてフィギュアスケートの金メダルを獲得した。現在はプロのスケーターである)

Q:プロ転向後の目標は?

A:教室を開きたいと思っています。日本では、フィギュアスケートを始める女子はたくさんいるけど、男子は少ないんです。だから、ソチや、そのあとのオリンピックでいい結果を出せれば、もっと多くの男子がスケートをはじめてくれるんじゃないかなと思っています。

Q:国旗を背負うのは重たいですか? 日本代表という立場をどう考えていますか?

A:日本代表というのは、ほんとうに大きな責任を背負うことになりますが、うれしいですね。そのためにがんばってきたわけですから。いつも誰かに見られているような気がすることもありますけど、それも責任のうちです。日本代表に選ばれたときにはすごくうれしくて、がんばってきたかいがあったと思いました。

これからもますます精進して、ぼくを応援してくれたすべてのファンに感謝したいです。

☆☆☆



イメージ・トレーニングを大切にしているのはあちこちで書かれていますね。ソチ入りするときの飛行機の中でも、睡眠の合間にフリーの冒頭で跳ぶ2種類の4回転ジャンプのイメージ・トレーニングをしていたといいます。「そこしか頭に浮かばなかった。イメージの中では全部跳べていた」とインタビューで話しています。

そして、記事内でいっしょに練習したいと思ったスケーターは、言うまでもなく、ハビエル・フェルナンデス選手ですが、その相手といまではこんなに仲良しになれるなんて、思ってなかったでしょうね。ライバルなのにいつもふたりで笑ってて、ほんとうにふたりいっしょの姿を見ると、なごみます^^。


【MAD】Yuzuru Hanyu & Javier Fernandez - Gift Of... 投稿者 buddyholly100


ではでは、きょうも読んでくださってありがとうございました!
[ 2014/04/09 09:42 ] 羽生結弦 | TB(-) | CM(4)

ハビエル・フェルナンデス選手とデニス・テン選手のインスタグラムより(Instagram of Javier Fernandez and Denis Ten)

大阪エキシビションも終わり、きのうのうちにみんな、北海道に移動して、きょうはすでにスーパースターズ・オン・アイスが開かれたんですね。い、いそがしい……。そんな中、楽しそうな写真がアップされているので、意味を訳すまでもないのですが、せっかくだからご紹介します。大阪エキシの会場である、なみはやドームの楽屋で撮られた写真です。

ハビエル・フェルナンデス選手のインスタグラムより

Winnie is gone!!!! Best picture ever!
「プーさんがいなくなっちゃった!!!! 過去最高の1枚!」
instaG_2014_04_07_21_32_29.jpg

ハビエルマンの衣装がプーさんと同じ配色だということは前々から言われていましたが(スペイン国旗の色と同じなんですね)、それをネタにしているところがさすが。

デニス・テン選手のインスタグラムより

Lay minute preparation...
「開演直前の身支度」
(※おそらくLast minute preparationのまちがい)
instaG_2014_04_07_21_27_57.jpg

みんな、おかしすぎるんですけど!
移動しながらのショー、楽しそうですね。
ほかにもいろんな選手が舞台裏や練習のようすをアップしてくれていて、これからもさまざまな表情が見られるかと思うと、楽しみです。
[ 2014/04/07 22:13 ] その他 | TB(0) | CM(5)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。