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ブライアン・オーサー・インタビュー訳(2014/7/30)"Is That A Skate Guard In Your Pocket Or Are You Happy To See Me?"

※後半、追加しました。遅くなりました……(8/4)。

オペラについての昔ながらのこんな言い回しを聞いたことがあると思います。「太ったプリマドンナが歌うまで、オペラの幕は降りない」そう、このブログも同じ……羽生選手まわりの記事を翻訳して紹介するなら、オーサー・コーチのインタビューを紹介しないわけにはいかない。

というわけで、残念ながら、羽生選手は名前しか出てきませんが、どうぞ〜♪

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Is That A Skate Guard In Your Pocket Or Are You Happy To See Me?
ブライアン・オーサー・インタビュー
ライアン・スティーブンズ著

オーサー

みんな、オペラについての昔ながらのこんな言い回しを聞いたことがあると思う。「太ったプリマドンナが歌うまで、オペラの幕は降りない」ってね。そう、このブログも同じ……ブログでカナダ月間を開催するなら、ブライアン・オーサーのインタビューなしに締めくくるわけにはいかない。そういうものだ。そもそも、ブライアン・オーサーをどう紹介すればいいのだろう? エリザベス・マンリー、ロビン・カズンズ、トーラー・クランストン、アニタ・ハートショーンとフランク・スウェイディングのように、彼はぼくがスケートをはじめるきっかけとなった、すばらしいスケーターのひとりだ。カナダ選手権のノービス・クラスで優勝、カナダ・ジュニア選手権で優勝、カナダ選手権で優勝(しかも、8回連続)。スケートカナダでは3回、優勝し、さらにオリンピックでは2個の銀メダルを獲得、1987年には世界選手権で優勝している。その後はプロに転向し、もっとも成功した評価の高いスケーターのひとりとして、20年近く演技を披露し、スターズ・オン・アイスに出演して各地を回ってきた。2007年に表舞台から身を引いて、コーチ業に転身。ふたりのオリンピック金メダリスト(キム・ヨナと羽生結弦)のコーチを務め、そのほかにも、ハビエル・フェルナンデス、クリスティーナ・ガオ、アダム・リッポン、エリック・ラドフォード、エレーネ・ゲデヴァニシヴィリ、フェドール・アンドレーエフなど、ほんとうに多くのスケーターを育ててきた。さいきんでは、ピーク・パフォーマンス・スケーティングというiPhone用スケーティング・アプリも発売! この男にできないことなんてあるのだろうか。ぼくには想像もつかない。なにより、彼はほんとうに好人物なんだ! インタビューを紹介する前に、ぼくのブライアン・オーサー物語を伝えなくちゃいけない。もう知ってるかもしれないけど。2007年のカナダ選手権が、ここ、ハリファックスで開かれたんだけど、その年にはほんとうにすばらしい演技が見られたんだ。ペアと男子フリープログラムのあいだに、ぼくがたしか、友だちのジェイソンといっしょにリンクのいちばん上の通路を歩いていると、ブライアンがそこに立っているのが見えた。だれかと立ち話をしていたものだから、(いつだって社交的な)ぼくはそのまま、彼のもとへ飛んでいって、自己紹介をした。この機会を逃してなるものかってね。そのときの対応が、これ以上ないってくらい、いい人だったものだから、ついついチケットにサインをお願いしてしまった。ごめん! だって、自分にとってのアイドルに毎日、会えるわけじゃないだろう。少なくとも、そう思ってたんだ。ブログをはじめるまでは……。ともかく、ブライアンがジェフリー・バトルといっしょに羽生結弦のショーのために日本にいるあいだに連絡をとったら、時間を割いて、インタビューに応じてくれたんだ。そのことには、いくら感謝してもしきれない。この記事、みんな、気に入ってくれると思うよ!



2回のオリンピックの銀メダリスト、1987年の世界チャンピオン、3回のスケート・カナダ・チャンピオン、8回連続のカナダ・チャンピオン。また、プロスケーターとしてスターズ・オン・アイスに出演したり、すばらしい演技を披露してきた約20年。いま、振り返ってみて、あなたのキャリアでもっとも特別な瞬間、あるいは印象的な瞬間はいつですか?

特別な瞬間か! たくさんありすぎて、むずかしいな……。1981年にハリファックスで行なわれたカナダ選手権で初優勝したのが転機で、そこから世界へと足を踏み出していった。世界選手権とオリンピックの表彰台が狙える位置にいると気づいたのは、そのときだよ。1979年のカナダ・ジュニア選手権も同じくらい大事な瞬間だ。はじめてトリプルアクセルに成功したからね。2度のオリンピック出場経験もやはり、忘れるわけにはいかない。意欲にあふれ、やる気満々で、五輪のロゴマークの入ったリンクで滑るのは誇らしかったよ。カタリナ・ビットといっしょにテレビ映画の『氷上のカルメン』に出演したのも、最高の経験だった。ちゃんと芝居をして映画製作にかかわるのは、あれがはじめてだったから。CBCのバラエティー・スペシャル番組、"Skating Free"、"Night Moves"、"Blame it On The Blues"の3本にも出演した。最初のメダルを手にしたのは、オンタリオ州サーニアだったな……たしか男子の13歳以下の部門だったと思う……あとは、1987年にシンシナティーで開かれた世界選手権で優勝したときかな。



あなたはオリンピックではじめてトリブルアクセルを跳び、ひとつのプログラムに2回のトリブルアクセルをはじめて組み込んだスケーターとして、フィギュアスケートの技術面にまさしく革命を起こしてきました。あなたが現役だったころの6.0システムと比べて、現在のISUジャッジング・システムでは、技術革新がじゅうぶんに報われるようになったと思いますか? 現在のジャッジング・システムについて、どういう面を改善すべきだと思いますか?

われわれ(コーチとして)はそのときのシステムを受け入れるしかない。コーチとしての私の仕事は、自分のスケーターにあらゆる技を身につけさせて、どんなシステムでも対応できるようにすることだ。実際、いまのシステムは気に入っている。"バランスのとれた"スケーターが報われるようになっているからね。自分もそういう訓練を受けてきたが、試合に出たら、ジャンプが振り付けの”王様”のようだった。スピンは、エッジワークやターンやつなぎと同様、二の次だった。大いなる改善が必要なのは、採点の透明性だろう。ジャッジを"守る"匿名制は、外的圧力なしに感じたまま採点できるようにするためなのだろうが、私は逆効果だと思う。



ブライアン・ボイタノ、カタリナ・ビット、エカテリーナ・ゴルデーワとセルゲイ・グリンコフ、ジェーン・トーヴィルとクリストファー・ディーンたちはみんな、1994年のリレハンメル・オリンピックで復帰しましたよね。あなたもリレハンメル・オリンピックで復帰することを考えましたか?

(笑って)30秒くらいは考えたと思うよ! いま名前の挙がった”偉大なスケーターたち”が復帰したのはとても勇敢だったと思うが、私はすでに別の方向と別の道に歩み出していて、そちらへ進んでいきたいと思ったんだ。



”The Story Of My Life”はあなたの代表作のひとつというだけでなく、当時のフィギュアのプログラムの中でもっとも感動的なもののひとつとして傑出しています。この曲とプログラムは、あなたにとってどういう意味があるんですか? また、こんなに長年、滑ってきたのは、どういうところが気に入っているからですか?

”The Story Of My Life”は母が見つけて、気に入っていた曲なんだ。母も私もニール・ダイヤモンドの大ファンでね。カルガリー・オリンピックのあと、1988年のシーズンには、この曲がぴったりだと思ったんだ。現役としての最後のシーズンだったから。1996年に母を亡くしてから、母に捧げるためにまた滑るようになった。同時に、滑ることで、つらい気持ちを乗り越えてきた。私には、スケートがなにかを感じたり、表現したりするための方法なんだ。毎晩、この曲と友だちと観客がそばについていてくれた。



また、プロスケーターに戻って、ツアーに出たり、定期的に演技を披露するつもりはないんですか?

(笑って)ないよ! もう、じゅうぶんやったし、Tシャツもたくさん持っているから!

(※ここから追記です。すみません、アプリの話はいつものように省略します)

あなたは過去にも、そしていまも、現在のフィギュアスケート界の有力選手のコーチを務めていらっしゃいますね。オリンピック金メダリストのユヅル・ハニューとキム・ヨナ、オリンピック団体戦銀メダリストのエリック・ラドフォード、ヨーロッパ選手権二連覇のハビエル・フェルナンデス、アダム・リッポン、クリスティーナ・ガオ、そのほかにも手がけてきたスケーターが多くいらっしゃいます。あなたにとって、スケーターからコーチへの転身は自然な流れでしたか? コーチとしての、あなたの「秘訣」はなんですか?

コーチ業への転身はスムーズだったが、急に降って湧いてきた話でね。突然、クリケットクラブのスケーティング部門のディレクターになってほしいと声がかかったんだ。思いもよらなかったよ。トレイシー・ウィルソンがいっしょにやってくれるのなら引き受けようと決めて、彼女がイエスと言ってくれた。あとは知ってのとおりだよ。私の最初の生徒は、韓国の15歳のジュニア・スケーターだった。名前はキム・ヨナ。もちろん、才能はあったが、残念ながらスケートへの情熱と喜びに欠けていた。私のいちばんの武器は、高いレベルで競い合ってきた経験だと思っている……身体をどう調整して臨むか。中でも、メンタル面をどう調整して臨むか。(中略)私の「秘訣」はいろいろとあるよ。メンタル面の調整に万全な準備、コミュニケーション、チームワーク、モチベーション、そして、なによりもスケーターを信じること。彼らなら、みずからの持っている可能性を存分に発揮できるとね。

過去のあらゆるスケーターの中で、好きなスケーターを3名挙げて、理由を教えてください。

ロビン・カズンズ、ステファン・ランビエール、ジャネット・リン、カート・ブラウニングだよ。だけど……いまのスケーターで好きなのは、ユヅル・ハニュー、ハビエル・フェルナンデス、ナム・グエンだ。

あなたについて、ほとんどの人が知らないだろうと思うことを、ひとつ教えてください。

若いころからメディアに出ている者なら、みんなが知らないことなんてないんじゃないかな。



世界じゅうのスケーターにひとつアドバイスをするとしたら、なんですか?

私にできるアドバイスはただひとつ、自分自身を自由に表現すべきだということだ。スケートというものの美しさを大切にして、その美しさをシンプルに表現する方法を、時間をかけて模索することだ。

さて、このブライアンへのすばらしいインタビューで、カナダ月間は終了! このブログのfacebookツイッターに載せた動画と、幸運にも行なうことができた最高のインタビューすべてと、ぼくが紐解いてきたカナダの偉大なスケート史を通して、ぼくはたくさんのことを学んできたし、みんなもそうだったらいいなと思う。きみがカナダ人であろうとなかろうと、この国が長年、このスポーツにどれだけ貢献してきたか、感心せずにはいられないはず。ぼくはこのすばらしい国でスケートをして、いまではスケートについて書く機会を与えてもらっていることを誇りに思うよ! さて、この次は? きみたちに読んでもらうために、もっとインタビューして、もっとスケート史を掘り起こして、もっとおもしろい記事を書くよ。それはなにか? 乞うご期待。いつも応援してくれてありがとう。そしてなにより……このブログのことを広めてくれてありがとう!

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いま、好きなスケーターは、羽生選手にハビエル選手にナム選手って……どれだけ愛情深いコーチなんでしょう。そして、オーサー・コーチが特別な瞬間のひとつとして挙げている、CBCのバラエティー・スペシャル番組、"Skating Free"の中の"The Story Of My Life"の演技にじーん(泣)。いつのまにか、オーサー・コーチのファンにもなっている自分に気づきます……。

そうそう、absolute skatingのカート・ブラウニング氏のインタビューにも、羽生選手の名前が出ていますね。

「いま、あなたがインスパイアされているスケーターは誰ですか?」という質問に対して、テッサとスコット、ジョアニー・ロシェットの名前を出したあとで、

「そのほか、誰にインスパイアされているかというと、ジャンプで言うなら、ほんとうにたくさんいるよ。私はユヅ(ル・ハニュー)の大ファンなんだ。ユヅとパトリックとハビ。この3人はもう、ほんとうにすごいよ」

続いて、芸術面ではシェイ=リーン・ボーン、振り付けではジェフリー・バトルの名前を挙げています。

さあ、これでしばらくは英語のニュースはない……ですよね?
あってほしいような、ないとほっとするような……^^;。

そうそう、前回の記事に書いたガス・ストーブですが、いろんな方から反響がありました。
結果、全員一致で「しまわなくていい!」。
というわけで、いまだにでんと置かれたままになっているのでした……。

注:ナム選手の苗字は「ニューエン」と読むそうですが、日本の活字媒体ではグエン表記になっているため、こちらではそれで統一しています。Fantasy On Ice富山公演のテレビ放送でも、アナウンスでは「ニューエン」、字幕では「グエン」になっていたようです。アメリカのルーズベルト元大統領も、原音ではローズベルトのほうが近いのですが、ルーズベルト表記のほうが多いように見受けられますし、なかなかむずかしい問題です。
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[ 2014/07/31 00:43 ] ブライアン・オーサー | TB(-) | CM(-)

MTV Sportille記事訳(2014/7/18)

それは先週のことです。
友だちからメールが来ました。
「cocoさん、ひさしぶり! セールでリネンの服を買ったから、cocoさんのこと、思い出してメールしたよ。元気にしてる?」って。

リネン?
まるで夏みたいなこと言ってる〜。

ん?
夏みたい、じゃなくて、もしかして、いま夏、なの?
えええっ。
海や花火に行って、はしゃいだりする、あの夏?
すでに?
もう?
いまや?
ほんとに?

というわけで、返信してみました。
「セールって夏の? もう夏なの?」

当然のお返事が届きました。
「夏だよ〜!」

……ですね。たしかに毎日、暑いです。
これは夏だわ。
っていうか、猛暑じゃん!

だってね、つい先日まで、どこに行くにも「ダウン、ひざ掛け、カイロ、ときどきアグのブーツ」が必需品だったわけです。
ネット上のどこを見ても、
「きょうの会場は寒い」とか、
「アリーナは寒いけど、スタンドはダウン必要なし」とか、
つねに「寒いかどうか」が話題にのぼっていたわけです。
これ、私の時間が止まっているとか、そんなかっこいいことではなくて、単なるアイスショー呆け………!

なるほど、これでひとつ謎が解けました。
我が家に、いつまでたってもしまわれることのない、大きな物体がいまだに鎮座ましましている理由が。
しかも2個。
これ、冬に部屋をあたためるための装置です。
熱源はガス。
そうか、これがいまだにしまわれていないのは、アイスショー呆けのせいだ!
そうだ、そうだ、私が怠惰なわけじゃないんだ、けっして!

……これ、いまからでも、しまったほうがいいですかね?
でも、フィン杯がはじまったら忙しくなりますよね。
そうしたら、寒くなっても、出す余裕がないかもしれない。
だったら、しょせん、あと数か月。
このまま、置いておいたほうがのちのち楽かも……?
仕事以外は、そんな高尚な悩みだけが頭の中を占めている、平和な日々です。

さて、わざわざご紹介するまでもないのですが、フィンランド杯エントリーの記事です。
フィンランド語を英語にgoogle翻訳したものを日本語に訳しているので、かなりあやしいのですが、フィンランド・スケート連盟が羽生選手を大歓迎してくれていることさえ伝わればいいかなということでお許しください。

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MTV Sportille
ソチ・オリンピック・チャンピオンがフィンランドのフィンランディア杯にエントリー
2014年7月18日

フィン杯
2013年フィンランディア杯での羽生結弦

ソチ五輪フィギュアスケート男子シングル金メダリストの日本の羽生結弦がフィンランドで今季の海外初戦を迎える

日本スケート連盟によると、羽生が10月にフィンランドのエスポーで行なわれるフィンランディア杯にエントリーすることが決まった。弱冠19歳の羽生は2012年、2013年大会と2シーズン連続でフィンランディア杯に出場し、2度とも優勝している。

フィンランド・フィギュアスケート連盟の広報担当であるミラ・カヤス=ビルタネンは、この知らせを喜んでいる。「これはとても、すばらしいことだわ! 彼もフィンランディア杯にはいい思い出があるはず。正式発表は8月だから、確定とはいえないけど、出場の予定よ」カヤス=ビルタネンがMTV Sportilleにそう語ってくれた。

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このミラ・カヤス=ビルタネンさんは、リレハンメル・オリンピックで12位だったミラ・カヤス元選手ですね。フィンランディア杯は羽生選手にとっても縁起のいい大会ですから、どれだけ進化したSPのバラード一番が観られるのか、いまだ謎に包まれている、どんなFSが観られるのか、楽しみです。羽生選手もクリケットに戻ったようですし、落ち着いた環境でゆっくり練習できるといいなあと願っています。
[ 2014/07/29 23:29 ] 羽生結弦 | TB(-) | CM(-)

いまさらながら、NY Times記事訳(2014.2.14)そして、はじまりの終わり

ソチ金メダル

『覚醒の時』、よかったですね〜!
予想以上の内容で、見ているだけで、胸が熱くなりました。

えっ?
BDプレイヤーがないのに、どうやって観たのかって?
それが語ると長い物語でして……。

時は3月はじめにさかのぼります。
Amazonで『覚醒の時』のBDを予約。
あとはBDプレイヤーを入手するのみ。
そこからは涙ぐましい努力のはじまりです。
家族との会話の端々で、我が家のDVDレコーダー&プレイヤーの調子がわるいことをアピール。
「さいきん、DVDに録画しようとしても、できないことが多いんだよね」とか
(これはほんとだけど、DVD自体が安物だったせい。ちょっと高いのを買ったら不具合は解消)、
「やたら、異音がするんだよね〜」とか
(これもほんと。でも、故障はしていない。ちょっと大きいだけ)。
それをくり返すこと、数か月。
ついに『覚醒の時』発売!
ほんとうはその前に買い換えたかったけど、ばたばたしているうちにタイミングを逃してしまいました。
でも、ぶじにBDレコーダー&プレイヤーの導入決定!

……と思ったら。
我が家にあるPS3でBDが見られることが判明。
数か月間、『名探偵コナン』ばりの伏線を張ってきた私って……。
「DVDプレイヤーの調子がわるい」アピールの小芝居をくり返してきた私って……。

いえ、でも、これで今度からBDに落とすことができるので万々歳なんですけどね。あいかわらず、空回りしている自分にがっくりしただけです。

さて、タイトルどおり、ほんとうにいまさらですが、ソチ・オリンピック金メダル獲得時のNY Timesの記事をご紹介します。

この記事訳は複数、ネット上にあるらしいのですが、ある方から、ぜひcocoさんの訳で読みたい!という脅迫……じゃなかった、熱烈なリクエスト(DIM、土下座・イン・ザ・メール!?)があったのと、自分でも訳してみたいとずっと思っていたからです。

なんといっても、羽生選手のスケーター人生における輝かしい瞬間であり、彼の金メダリストとしての人生がはじまった瞬間の記録ですから。というわけで、5か月も前の記事ですけど、よかったら読んでくださいね。

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日本の羽生結弦がフィギュアスケート男子シングルで
金メダルを獲得

ジェール・ロングマン著
2014年2月14日

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世界ランク1位の羽生結弦が日本初のフィギュアスケート男子シングル金メダルを獲得。ジェームズ・ヒル撮影。

ロシア、ソチ――日本の東北地方を恐ろしい地震と津波が襲ったとき、羽生結弦はリンクの上にいた。彼が16歳のときだ。氷が音を立てて揺れ、地面がせりあがり、立っているのもおぼつかない。彼はスケート靴を履いたまま、リンクから逃げ出した。エッジケースをつける余裕さえなかった。

2011年3月のその日は恐怖そのものだった。(不安な一夜があけたあとも)、その3年後、羽生がオリンピック・チャンピオンになるとは想像もつかなかっただろう。フィギュアスケート男子初の金メダリストになるなどと考えることもなかったし、オリンピックの表彰台に乗るとは思いもしなかっただろう。だが実際、彼は2月14日、その表彰台に乗ったのだ。銀メダリストのカナダのパトリック・チャン、銅メダリストのカザフスタンのデニス・テンとともに。

羽生の故郷である仙台は震源地から近い。ホームリンク下のパイプは破裂し、氷が溶けた。リンクは、数か月間、閉鎖された。自宅の壁には亀裂が入った。彼と両親と姉は電気も飲み水もない状態で取り残された。一家は避難所である体育館で4日間をすごした。

揺れがおさまっても、羽生は震災当時の記憶に悩まされつづけた。彼はジャンプを跳ぶときにもイメージトレーニングを重視しているが、いまや彼の心の目に映るのは地震の瞬間の光景だけだ。16歳で人生が終わるのではないか、つぶれたリンクの下敷きになってしまうのではないか、その恐怖が消えなかった。諦観がじわじわと彼をむしばんでいく。

「『あって当然のもの』なんてない」19歳の羽生が2年前に出版した自伝『蒼い炎』には、そう記されている。

この震災によって、彼の「価値観は大きく変えられてしまった」のだ。

やがて、その諦観は目的意識へと変わっていく。
「いまはとにかく、1日1日を大事にしたいと思う」と『蒼い炎』の中で、羽生は語っている。

2012年12月、羽生は重要な国際大会、グランプリファイナルに出場するため、ソチを訪れた。コーチであるブライアン・オーサーとともに黒海沿岸を歩きながら、彼は言った。「オリンピックで優勝したいんです」

オリンピック出場のためにソチをふたたび訪れたとき、羽生は2月13日のショートプログラムで伸びやかなジャンプとスピンを披露し、101.45点という史上最高得点を叩き出した。金メダルはすぐ手の届くところにあった。

NYTimes2.png
フィギュアスケート男子シングル。左から、パトリック・チャン(カナダ、銀メダル)、羽生結弦(日本、金メダル)、デニス・テン(カザフスタン、銅メダル)。チャン・W・リー撮影。

「彼は情熱のかたまりだ。しかも、もっともむずかしいことを、まるで簡単なことのようにやってのける」1984年のオリンピック・チャンピオンであるスコット・ハミルトンが話す。「これはほんとうに賞賛すべきことだ」

しかし、ショートプログラムとフリープログラムのあいだに休日はない。感情や重圧をいったん鎮めて、改めて立て直すだけの時間はなかった。

その日、羽生は練習中から緊張がうかがえた。フリープログラムがはじまると、最初のジャンプの4回転サルコウで転倒。4回転を試みるも、着氷に失敗した。 続いて、3回転フリップでお手つき。焦りが芽生え、脚が重くなっていく。

「金メダルが遠ざかったかなという感じはしました」と羽生は話している。

これがほかの日なら、負けていたかもしれない。

世界選手権三連覇中のチャンは、ショートプログラムを終えた時点で、1位の羽生と約4点差で2位。しかも、ジャッジにカナダ人はいない。安全策をとるという選択肢はなかった。

「オリンピックにのぞむのなら、全力で立ち向かっていくしかない」とチャン。

序盤の4回転トウループ+3回転トウループのコンビネーションは安定していたが、彼は疲れを拭い切ることができなかった。なんとか自信を取り戻そうと奮闘するものの、優勝の可能性が潰えるのに時間はかからなかった。

4回転トウループとトリプルアクセルでお手つき。ダブルアクセルも乱れた。芸術の域に達するエッジワークとスケーティング技術も、彼を1位に押し上げることはできなかった。

「はっきり言って、こういう試合では、いちばんミスが少ないのがだれかで決まります。わたしはミスがひとつだけ多かった」

羽生は総合で280.09点をマークし、1948年に最年少の18歳で金メダリストとなったディック・バトンに次ぐ、若きオリンピック・チャンピオンとなった。23歳のチャンは275.62点で銀メダルを獲得。フィギュアスケート男子シングルで、カナダ人がオリンピック金メダルに輝いたことは一度もない。2位で終わる悲劇がくり返されてきた国なのだ。

20歳のテンは2013年の世界選手権でチャンに次ぐ2位につけたが、オリンピック・シーズンの重要な大会を、全身に広がる感染症で欠場(※)。それでも、しっかりと調整して、ショートプログラムの9位から追い上げ、255.10点で銅メダルを獲得した。それは旧ソ連のカザフスタンにとって、フィギュアスケート初のオリンピックメダルでもあった。

意気揚々とするテンに対し、羽生に浮かれたようすはなかった。
「自分の演技には満足していません。緊張しましたが、金メダルを獲ることができました。日本の国旗を掲げることができました。それは誇りに思っていいことだと思います」

3年前には、この結果は実現不可能に思えただろう。地震のあと、羽生は何か月もホームリンクを失った。そして練習拠点を横浜に移した。事故のあった福島第一原発から遠く離れた場所だ。それでも、高校に通うことはままならなかった。彼は東日本大震災チャリティ演技会に出演すると、練習を兼ねて、2011年の夏のあいだ、アイスショーで滑りつづけた。

「ほんとうにスケートをやめようと思いました」と羽生。「生活することすらも精いっぱいで、ぎりぎりの状態でした」

その気持ちを変えたのは、仙台の人々のあと押しだった。その中には2006年トリノ・オリンピックの女子シングル金メダリスト、荒川静香も含まれる。彼のスケート人生を支え、精神的にも支えてきた。

羽生は言う。「いいことができたんじゃないかな、恩返しができたなというふうに思います」

2012年3月、羽生は世界選手権で驚きの銅メダルを獲得。その才能に磨きをかけるため、トロントに移り、オーサーに師事した。オーサーはカナダ人でオリンピック銀メダルに2度、輝いており、韓国のキム・ヨナを指導して2010年のバンクーバー・オリンピックで女子シングルの金メダルへと導いた男だ。

コーチ陣のひとり、トレーシー・ウィルソンによると、羽生は地震について多くを語らないという。しかし、彼女はこう付け加える。「あれだけ恐ろしい体験をすると、自分の中のスケートの位置が確固たるものになるんです。自分のしていることを、これまで以上に客観的に見つめられるようになる。そういう意味で、震災という悲劇を経験したことによって、彼はあの若さで、瞬く間におとなになってしまったのです」

残酷だが、そのつらい経験が羽生を駆り立てているのだとウィルソンは話す。

「自分のしていることが、ある日を境に、国のため、隣人のためになる。より崇高な目的に向かって歩きだすと、それが自分を次のレベルへと押し上げてくれるんです」

2月14日、羽生は幸運の印である、あざやかな緑とピンクのラインストーンのついた衣装を身にまとっていた。彼は縁起をかつぐタイプなのだ。そして、いつものようにしゃがみこむと、だれの顔も見ることなく、フェンスからうしろ向きに滑っていった。そして、演技がはじまった。この日の彼は、大いなる幸運に恵まれたわけではなかったが、オリンピックで優勝するにはじゅうぶんだった。

羽生は、自分が優勝したからといって、復興に直接、手助けになるわけではないという。自分には「なにもできてない」と感じ、無力感をおぼえているという。しかし、彼は金メダルを手にした。きっとこれが出発点になる。

「そこから復興や震災のためにできることがあるんじゃないかなと思っています」羽生はそう語った。

※テン選手は現在、21歳ですが、記事掲載当時は20歳です。当時の感染症やけがについてはこちらの記事に載っています。また、2013年3月17日、世界選手権後のインタビューもおすすめです。

※『蒼い炎』内の記述については、一部、同書より抜粋させていただきました。
また、羽生選手の発言については、英文和訳ではなく、なるべく本人の言葉を引用しました。

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考えてみれば、この瞬間から、私の中の時計は止まっていたように思います。
テレビや雑誌で彼の顔を見ない日はなくなりました。
世界選手権が終わって、ひと段落ついたとき、仕事を再開するまでの時間つぶしくらいの軽い気持ちで、ブログをはじめました。

羽生選手が海外でどんなふうに紹介され、彼の周囲の人が彼についてどう語っているのか、伝えたいと思ったから。
そしてもし、それを読みたいという方がいらっしゃるなら、すこしでもお役にたちたかったから。
だけど、そろそろ止めていた時計を動かして、私も前に進み出そうと思います。

ウィンストン・チャーチルの有名な言葉があります。
"Now this is not the end. It is not even the beginning of the end. But it is, perhaps, the end of the beginning."
「これは終わりではない。終わりのはじまりですらない。そうではなくて、これはおそらく、はじまりの終わりなのだ」
※これは戦争に関する発言なのですが、そこはスルーしていただくとして。

日本での42公演におよぶアイスショーも終わり、彼はまたクリケットに戻って、あるべき理想の自分を追いかけていくのでしょう。
私も、ブログはちょっと小休止して、あるべき自分を取り戻したいと思います。恩師から託された仕事をきちんとこなし、ずっと上の空ですごしていた私をあたたかく見守ってくれた家族とも向き合い、地に足をつけて暮らしていきたい。
羽生選手をこれからもずっとずっと応援していくために。

以前にも書いたように、羽生選手の記事が出たら、すぐにご紹介します。
DIMの方からはほかにもふたつ宿題を出されているので、時間ができたら、そちらも訳してご紹介するかもしれません。
"Change"の訳詞のリクエストもありましたし。

それまで、しばしのお別れです。
ほんとうの終わりじゃなくて、これをはじまりの終わりにできますように。
いつも読んでくださっている方々に、心からの愛をこめて。

※事情により、コメント欄は閉じさせていただきます。
[ 2014/07/20 17:40 ] 羽生結弦 | TB(-) | CM(-)

Fantasy on Ice 新潟、行ってらっしゃい!

花は咲く5

ついに羽生選手の出演する、最後のアイスショーとなりました。
前記事のコメント欄でみぽさんがすてきな中締めをしてくださいました。
そして、今回もみーこさんが現地組に向けて、壮行会を開いてくださるそうです。
よろしくお願いします!

4月の名古屋フェスティバルからはじまって、約40公演におよぶアイスショー。
考えてみれば、私がはじめて羽生選手の演技を生で観たのが、名フェスの次の大阪エキシの初回公演でした。

我が家は、年に1、2回、京都方面に遊びに行きます。
たいていは、おいしいものめぐり。
まずはどこかのお寺や神社にお参りして、
お麩やくずきりやわらび餅をいただいたり、老舗のかき氷屋さんを回ったり。
ときには大阪に変更して、家族で大好きな岡本太郎の太陽の塔を見に行ったり、静岡の美術館で見たい展示があるときにはそちらに変更したり、あるいは神戸の友だちに会いに行ったり。
そんなふうにいつも、思いのままにふらりと遊びに行っています。

だから、大阪エキシも深く考えることなく、どうせ関西方面に遊びに行くなら行ってみようかって。
せっかくの機会だし、まあ、1回くらい記念に行っておいてもいいかなって。
そんな軽い気持ちでした。

えっと、いま聞き逃せない単語がありましたね。
では、ここでcocoの日本語講座です。
「記念」とはどういう意味か、わかりますか?
わかる人、手を挙げて!
「はーい、祈ること!」
ちがいます、それは「祈念」です。
「じゃあ、紀元から起算した年数!」
それもちがいますね、それは「紀年」です。
「だったら、鹿児島の地名!」
ざんねーん。それは「喜念」です。
「はいっ、思い出のために残しておくもの!」
ようやく出ましたね。
はい、せいかーい!
記念とは思い出のために残しておくことやものを指す言葉です。

ん? となると、ここでひとつ疑問が浮かび上がりますね。
思い出のために、ということは、一度行けばよかったの……では?
それを記念と呼ぶのでは……?
いやいや、毎回、ブラックアウトしちゃって、思い出として残らないから、
いつまでたっても記念のために行ってるんだな、あはは……じゃなくてっっっ!
そのときには、まさか7月になってから、銀行のATMで口座残高を見つめながら戦慄することになるとは思いもしませんでした……。

cocoのお寒い財布事情はいいとして。
先週の富山公演は豪華でしたね。
クリケット三兄弟が勢揃いしたうえに、オーサー・コーチにジェフリー・バトル氏!
なに、このcoco得なメンバー!
な、なのに、私はそこにいないって、いったい……(大泣)。
「いま、ここにいる自分が許せない」と何度つぶやいたことか……。

それにしても、富山でだれかジェフリー氏にインタビューしてくれていないのでしょうか。「今季の羽生選手のSPにショパンのバラード一番を選んだ理由は?」とか(私の訳した過去記事によると、「チャンの場合は、まず、彼の母親がショパンの曲に合わせたエキシビションの振り付けを依頼してきた。しかし、バトルは、チャンにはもっとダイナミックで、彼の力強いスタイルに合ったものが必要だと考えた。そこで、自分がずっと使いたいと思っていたラフマニノフの曲を提案した」ということですし)、「4Tを後半に入れたのは本人の希望ですか?」(ま、そうに決まってますけど、一応、ききたいじゃないですか)とか、ステップのこととか、イーグルサンド3Aのこととか、聞きたいこといっぱいあるじゃないですかっ。いえ、いまからだって、いいんです。だれかジェフリー氏に羽生選手の新SPについてインタビューしてほしい〜。すてきな写真つきで♪

それにしても、ついに怒涛のアイスショー・シーズンも終わってしまいますね。
想像するだけでさみしくて泣きそうですが、Fantasy on Ice 新潟公演に行かれる方、どうぞ楽しんでらしてくださいね。
私はこの週末、あまりネットにつなぐことができなさそうなのですが、レポは楽しみに読ませていただきます♪

新年あけましておめでとうございます&パティナージュ誌記事訳

バラ1

ついに新シーズン、はじまりましたね!
ラビット、ラビット、ホワイトラビット!
(※カナダ等、イギリス文化圏の国々で知られるおまじないで、毎月1日には歩きながらこう唱えると、幸運が訪れるそうです)
カナダはまだ朝の10時半。羽生選手に幸運が訪れるように、みんなで唱えましよう♪
はいっ、Everybody, repeat after me.
"Rabbit, rabbit, white rabbit!"
白兎というところが、なんだかかわいい。

さて、月は変わっても、引き続きMSY(マジで仕事やばい)月間なので、なかなか翻訳できないのですが、Patinageのブライアン・オーサー・コーチのインタビューを少しずつご紹介したいと思っています。こちらの記事と同じ時期にインタビューされたもので、3月の世界選手権前のもの。内容も一部似ていますが、いくつか新しい点もあります。みなさんがトイペを伸ばしてくださっているあいだに、少しずつ訳し進めていきたいと思っています。→終わりました。お待たせしました〜。

※Patinageはフランスの雑誌ですが、一部、英語記事も掲載されています。その部分のみご紹介します。購入したい方はマガジンマートでどうぞ♪(←その後、完売しました。再入荷のリクエストはできるようです)

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今年の最優秀コーチ ブライアン・オーサー

今シーズン、カナダ人コーチのブライアン・オーサーは大きな成果を挙げている。1987年の世界選手権金メダリストであり、1984年と1988年のオリンピック銀メダリストである彼は、2010年のオリンピックで韓国のスケーター、キム・ヨナを金メダルへと導いた。今年、彼の選り抜きの教え子3人は5つの大きなタイトルを獲得している。羽生結弦は12月のグランプリファイナルで優勝したあと、オリンピックと世界選手権で金メダルを獲得。ハビエル・フェルナンデスは1月のヨーロッパ選手権で昨年に引き続き、金メダルを獲得。カナダ人のスケーター、ナム・グエンは世界ジュニア選手権の金メダリストとなった。ブライアン・オーサーの秘訣はなんなのか? 羽生が日本で世界選手権のタイトルを獲る前に、パティナージュ・マガジンはソフィアで彼に話を聞くことができた。


これまでのところ、今シーズン、あなたは大きな成果を残していますよね。どんなお気持ちですか?

3人のアスリートがタイトルを獲得してくれてうれしいよ。この3人のことを心から誇りに思っている。練習熱心で、協力し合い、しかも成功できたんだからね。

なにか秘訣があるなら教えていただきたいのですが。

(笑って)秘訣なんてないよ! ただ、いっしょに仕事しているチームが優秀なんだ。私ひとりでやっているわけじゃない。チームにはトレーシー・ウィルソンがいて、すばらしい仕事をしてくれる。私が留守のあいだは、いつも彼女がクラブにいて、すべてを取り仕切ってくれるんだ。だから、たとえば今週、私がここソフィアにいるあいだは、彼女がずっとクリケットクラブにいて、世界選手権に向けて、ハビエルとユヅルをみてくれている。私がユヅルとハビエルといっしょにソチに行ったときには、彼女と私のアシスタント、アーネスト・プリキトカがナムとトリプル・アクセルに取り組んで、世界ジュニア選手権に向けて準備をしてくれた。またデヴィッド・ウィルソンとジェフ・バトルというすばらしい振り付け師がいて、とくに私がいないあいだは、スケーターをじっくりみてくれる。私が留守にするときには、ナムやほかのクラブの子どもたちをみてくれるんだ。だから、クラブのスケーターのことはつねに把握できているし、コミュニケーションは欠かさないようにしている。けさ、ユヅルからメールをもらったよ。さいきんのようすと、とても調子がよくて、それがうれしいということが書いてあった。ハビエルからも似たようなメールが届いた。オリンピックを終えて、また試合に臨むのはどんなときでもきついものだが、ふたりともすぐにその態勢に入ったよ。どちらもオリンピックの結果にあまり納得がいってないんだろう。ユヅルは優勝したが、自分の演技には満足していなかった。だから、彼はより良い演技をするべく、取り組んでいる。言うまでもなく、世界選手権は日本開催だからね。ハビエルも同様だ。私はふたりと話して、ふたりのことを信じている。それがいちばん大切なことだと思うんだ。ふたりを信じて、ふたりの能力を信じて、つねにふたりのスケーティング人生の一部でいることがね。

試合であちこち遠征されるわけですから、どうしていらっしゃるんだろうと思っていたんです。さっき数人の名前が挙がりましたが、ほかにもいらっしゃいますか?

ペイジ・アイストロップという女性がいるよ。スピンを教えるうえで、ほんとうに助けになってくれている。彼女はスピンのレベルを理解しているだけでなく、教え方を心得ていて、各スケーターにとってのベスト・ポジションを見つけてくれるんだ。レベルとGOEを確保できるよう、いくつか新しい実験もしている。さいきんではGOEが成功の大きな部分を占めているからね。すべての要素のGOEが……。ただトリプル―トリプルを跳ぶのではなく、スピードと質と流れを兼ね備えたトリプル―トリプルを跳ぶ。それでこそ、タイトルが獲得できる。GOEが鍵なんだ。

ユヅルとハビエルはオリンピックでいくつかミスをしましたが、あなたのスケーターはみんな、メンタルが強いですよね。それについては、どう説明されますか?

私は心理学者じゃないが、トレーシーも私も経験ならたっぷり積んでいる。それにスケーターはみんなちがうから、ひとりひとりを理解してから試合に臨ませるように努めている。アスリートとして試合に向けて準備すれば、メンタルは強くなる。私はずっとこう教えられてきたんだ。自分の平均的演技は信じていいとね。だから、自分の平均的演技をつくりあげて、それを高めていかなきゃいけない。そうすれば、うまく滑れることを願いながら試合に臨むのではなく、自分はうまく滑れるとわかったうえで、自分の平均的演技ができることを願いながら、試合に臨める。私はそう教わってきた。
(※このあと、オーサー・コーチが開発したメンタル強化アプリの宣伝が続きます。申し訳ないのですが、そのくだりは省略します)

あなたの3人のチャンピオンはそれぞれ、どうちがいますか?

3人ともまったくちがうね、とくにハビエルとユヅルは。文化がちがうから。ユヅルのほうが人付き合いは少なくて、母親と暮らし、大学生だから勉強もかなりしているし、しっかりと規則正しい暮らしをしている。とくにリンク外ではね。ハビエルにはスペインの文化があり、ひとり暮らしで、多くの時間を恋人と過ごしている。自炊して、掃除も自分でして、毎日、リンクにやってくる。彼のほうが社交的で、なんというか、自由な精神の持ち主かな。そこが彼の特別なところだよ。そしてナムはご承知のとおり、15歳で、子どもだ。両親はベトナム人で、とても厳しく、スケートだろうが、学校だろうが、すべてにおいて規律をなによりも重んじている。ナムは全日制の学校に通っているが、実際、いまは半分くらいしか通えていないかな。早朝に滑って、放課後も練習にやってくる。彼もいい生徒だよ。彼の両親も熱心でね。だから、いろんなアイデアを交わし合って、ときには衝突することもある。私は全員の文化を理解すべく、心を砕いている。ナムは3人の中でいちばん練習しているんじゃないかな。いちばん、通し練習をしているから。

クリケットクラブには、エレーネ・ゲデヴァニシヴィリをはじめとして、女性スケーターもいらっしゃいますよね。

今年、私は彼女についていないんだが、うちのコーチのひとり、ギスラン・ブリアンがついているよ。彼女からクリケットに戻りたいと言われたとき、こちらとしてはなんの問題もなかった。うちを去るときに、彼女には言ってあったんだよ。きみはほんとうにすばらしい子だから、いつでも戻っておいで、とね。ほかにも、ソニア・ラフェンテもすこし見ているし、ドイツのジェニファー・パーカーもいるし、さいきんではカザフスタンから来た女の子も教えはじめたところだ。

クリケットクラブには、それだけいろいろな国からスケーターがやってきているわけですが、雰囲気はいかがですか?

そうだな、成功のもうひとつの鍵は、ほんとうにすばらしいコミュニティを作り上げることができたということかな。うちのクラブはとてもポジティブな環境なんだ。そのポジティブな雰囲気が変わることのないよう、つねに気を配っているよ。私たちは毎日、スケーターの気持ちを読むようにしている。彼らがどこにいて、なにを必要としているのかを察して、たっぷりコミュニケーションをとるんだ。息抜きが必要な者がいないかも見ている。彼らのほうが息抜きを必要しているときもあれば、私のほうが息抜きが必要なときもある。

あなたのコーチ哲学はなんですか?

私に哲学なんかあるかな。ひとつのスタイル、テクニックはあるよ。私たちはそれに力を入れていて、スケーターが受け入れてくれることを願っている。いまのところ、ほとんどの教え子が受け入れてくれているよ。時間がかかるし、忍耐も必要だ。一時しのぎの解決策はとらないし、魔法の杖があるわけでもない。私が思うに、ただコミュニケーションをとって、ほんとうにポジティブな環境を保つことじゃないかな。私たちはリンクですばらしいものを作り上げてきた。一部の親もかかわってくれているよ。クラブに所属する、おとなのスケーターの中にも、快くサポートしてくれる者がいて誇らしく思っている。管理部門のスタッフもコミュニティの一員だし、クラブのほかのスポーツの責任者も同じだ。クリケットはほんとうにいいコミュニティなんだ。私は全員の準備が整うように努めている。それが衣装であれ、音楽であれ、振り付けやレベルであれ、そういったすべての面においてね。自分のまわりをすばらしい人たちで固める。それが私の哲学かな。

来シーズンに向けての計画を教えてください。

ナムのことを決断しなければならない。これからどうするか、ジュニアのグランプリシリーズか、シニアのグランプリシリーズに移行するか。むずかしい決断だよ。私のところには南アフリカとカザフスタンの少女もいて、ふたりはジュニア・グランプリに出場する予定だ。今年のグランプリ・ファイナルはバルセロナで開かれる。すばらしいことだよ。ハビにますますプレッシャーがかかるからね。ハビなら、うまく対応できるだろう。私たちは次のオリンピックに向けて戦略を立てはじめたところだ。キム・ヨナのときもそうだった。4年周期で考えるからね。いま、次の周期の4年がはじまったところだ。ハビはクワド・ループに何度か成功している。そろそろクワド・ループを組み込むときが来ているんだろう。そこに重点を置いて練習するのがこの夏の課題かなと思っている。ユヅルも同じだが、クワド・ループを入れるかどうかはわからない。その前にクワド・アクセルかな。彼はトリプル・アクセルをほんとうに大きく跳ぶから……。

あなたは現役スケーターからアイスショーのパフォーマーとなり、いまではトップレベルのコーチと、順調に移行されてきました。その経緯について教えてください。

1988年に現役を引退して、約17年間、あちこちをまわってショーに出演したが、そのあいだセミナーをたくさん開いたんだ。教えたんだよ。そうやって、スケートの教え方を学んだ。コーチをするわけじゃなく、教えてたんだ。そうしたら、夢中になってね。自分ならスケーターと気持ちを通わせることができるし、教えるだけの技術もあるうえに、実演してみせることができると思ったんだ。毎日、スケート靴を履いて、リンクに出ていって、ずっと動き回っているよ。コーチ業に情熱を抱いているということなんだろうね。

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いやいやいや、オーサー・コーチのいないあいだに4Lo成功してますから! 北海道でしょ、別府でしょ、練習ではDOIでも成功してますから。でも、それより、4Aって鬼っっっ。鬼すぎるっ。

ところで、先日、テレビ放送されたDOIのバラ1を何度も見返しているのですが、ほんとにこれ、私が会場で観たプロなのかしら……と思ってしまいます。どうせcocoさん、まともに見えてないじゃん、という真実のツッコミはここでは聞こえないふりをするとして、テレビとちがって、細かい表情や振り付けが見えない(遠いから)というのもあるけれど、会場で観たのは、おそろしいスピードで疾走していく、狂おしい情熱のかたまり。静謐で、でも、ダイナミックで力強い演技。張り詰めた空気。いま思うと、『蒼い炎』って秀逸なタイトルです。目の前を駆け抜けていく、冷たく燃える、蒼い炎でした。
[ 2014/07/01 23:34 ] 羽生結弦 | TB(0) | CM(334)
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