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翼の王国 国際線版 WINGSPAN 2013/11月号 羽生結弦インタビュー"A Moving Figure"

あれ、International figure Skatingの記事は?と思われた方、すみません。長くてなかなか終わらないので(しかも、インタビューじゃないし)、去年の記事ですが、ANAの広報誌『翼の王国』の国際線版、WINGSPAN(2013年11月号)のインタビュー記事"A Moving Figure"の訳をご紹介します。

※バックナンバー、いまでも購入できます→こちらから。(写真は全部で9枚。Tシャツ姿が1枚と、あとはUA姿の写真。そのうち2枚ではANAと書かれた白い上着を着ています。UA好きにはとくにオススメ!)

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注目の人物
インタビュー:チャールズ・T.ホイップル
写真:ストレイトン・ケン

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羽生結弦は日本のフィギュアスケート界の新星のひとりだ。2011年にシニアに移行して以来、2012年の世界選手権では銅メダル、2012年、2013年の全日本選手権で金メダルを獲得している。そんな彼は大いなる困難を乗り越えてきた。故郷の街が東日本大震災に遭い、数日間の避難所生活を余儀なくされたのだ。スケートはもう続けられないとさえ思った。しかし、家族やファンやほかのスケーターの励ましのもと、彼はさらに強くなって戻ってきた。現在はカナダに拠点を置き、オリンピック金メダルを目指して、みずからのスケートに磨きをかけている。

東日本大震災のあと、神戸でのチャリティー・アイスショーに招かれました。ぼくの故郷の被災者を支援するチャリティーです。ぼくのホームリンクも大きな被害を受けたので、みんなが声をかけてくれました。「こっちのリンクに来て練習しなよ」って。もうすぐオリンピックですけど、応援してくれた人たちに恩返しするためにもいい結果を出さないと、と思っています。


Q:日本からカナダに拠点を移しましたね。なぜカナダに?

A:英語が大変で……。でも、カナダには外国人がたくさんいて、英語がうまい人ばかりじゃないとみんなわかっているから、こちらの話にじっくり耳を傾けてくれるんです。

なぜカナダかと言うと、その答えは簡単です。いっしょに練習したいスケーターがいるから。前から4回転ジャンプをうまく跳びたいと思っていて、そのスケーターが4回転を得意としているんです。彼といっしょに練習できたら、彼から4回転ジャンプを学べると思ったので。

Q:ほかのスケーターたちから学んでいるということですか?

A:ぼくとしては、スケーターとして成長するにはそれがいちばんだと思っています。なにかを得意とする選手がいるということはコーチの教え方がうまいということでしょう。だから、彼と同じ環境に入って、その技術を身につけ、彼のシステムの中に身を置きたかったんです。

Q:効果はありましたか?

A:ええ、あったと思います。たとえば、練習したくないときや、練習がうまくいかないときもあるけど、そういうときこそ、同じリンクに自分よりうまいスケーターがいることが大事なんです。もちろん、ブライアン(・オーサー・コーチ)もそこにいて、的確なアドバイスを与えてくれる。その結果、練習にも身が入るし、「ばかばかしい。しっかりしろ。氷と向き合え。やるんだ」と自分に言い聞かせるんです。

Q:プロのアスリートはよくイメージ・トレーニングが結果に大きな役割を果たすといいますよね。

A:ええ、イメージ・トレーニングは大切です。毎晩、頭の中でプログラムをおさらいしています。といっても、長くて4分ですけど、頭の中で最低3回は自分のプログラムのおさらいをするわけです。ぼくにはそれがとても重要なんです。だって、考えてみてください。スケートはどこでもできるわけじゃない。だからこそ、イメージ・トレーニングが重要になってくるんです。それなら、どこでもできますから。

Q:スケーターの養成方法は、カナダと日本ではちがいますか?

A:環境がぜんぜんちがいますね。日本にはリンクが少ないから、フィギュアスケートに割り当てられる時間がそれほど多くないんです。カナダではスケートの認知度が段違いですね。

たとえば、ぼくが所属しているのはフィギュアスケート専用のクラブで、独自のリンクを持っています。ぼくはリンクでの練習は時間内できっちり集中して終わらせたいタイプなんです。あとは自宅で過ごしたり、ワークアウトをしたり、イメージ・トレーニングをしたり、いろいろしています。

Q:家族や友人と離れてカナダへ来たわけですが、ホームシックにはかかりませんでしたか?

A:仙台を離れるのはさみしかったです。でも、母が同行してくれましたし、カナダに来たのはスケートするためなので、ホームシックなんて言ってる場合じゃありません。

Q:国がちがうと、観客の反応もちがいますか?

A:大会によるんじゃないでしょうか。オリンピックには世界じゅうからいろんな人が来るでしょうね。世界選手権のときには、日本からたくさんのファンが来てくれるのがほんとうにうれしいです。自分のプログラムのすべての要素に完璧な自信を持てることはないから、大勢のファンの人が応援してくれると、ぜんぜんちがいますね。少なくとも、ぼくはそうです。

Q:あなたは日本の東北地方の仙台の出身ですね。2011年3月11日に東日本大震災が起きたとき、どこにいましたか?

A:リンクで練習中でした。すごく怖かったです。スケートは続けられないと思いました。4日間、避難所で暮らし、そのあいだ、いろんなことを考えましたよ。「いまはスケートなんてしてる場合じゃない。ほかにすべきことがある。生きていくことについて考えないと」って。

しばらくスケートから離れていましたが、やがて練習をはじめました。神戸でチャリティー・アイスショーが企画されて、神戸は1995年に大きな地震に見舞われた街なんですけど、その主催者がぼくに声をかけてくれたんです。それが東北地方の被災者支援のチャリティーだったので、ぼくが滑ることで貢献できるのなら、やらないと、と思ったんです。

さっきも言ったように、ホームリンクが大きな被害を受けたので、練習ができません。すると、あちこちから電話やメッセージが届いたんです。「こっちに来て、練習しなよ」って。ほんとうに大勢の人がそうやって声をかけてくれました。すごいことですよね。

スケートを再開したことも、アイスショーに出演したことも、後悔はしてませんが、当時はそれでいいのかとずいぶん悩みました。でも、いまではみんなが応援してくれて、そのことがもうほんとうにうれしいです。もうすぐオリンピックですけど、応援してくれた人たちに恩返しするためにも、いい結果を出さないと、と思っています。

Q:どうやって「恩返し」をするか、考えていますか?

A:ええ。ぼくのホームリンクは2004年に閉鎖されました。でも、2006年に荒川静香さんが金メダルを獲り、オリンピックメダリストとしての彼女のサポートによって、2007年に再開されたんです。日本にはスケートリンクがそれほど多くないので、オリンピックで金メダルか、それに近いメダルがとれて、最終的にちゃんと稼げるプロのスケーターになれたら、具体的な形で貢献したいと思っています。

(注:荒川静香は仙台出身のフィギュアスケーターで、日本ではじめてフィギュアスケートの金メダルを獲得した。現在はプロのスケーターである)

Q:プロ転向後の目標は?

A:教室を開きたいと思っています。日本では、フィギュアスケートを始める女子はたくさんいるけど、男子は少ないんです。だから、ソチや、そのあとのオリンピックでいい結果を出せれば、もっと多くの男子がスケートをはじめてくれるんじゃないかなと思っています。

Q:国旗を背負うのは重たいですか? 日本代表という立場をどう考えていますか?

A:日本代表というのは、ほんとうに大きな責任を背負うことになりますが、うれしいですね。そのためにがんばってきたわけですから。いつも誰かに見られているような気がすることもありますけど、それも責任のうちです。日本代表に選ばれたときにはすごくうれしくて、がんばってきたかいがあったと思いました。

これからもますます精進して、ぼくを応援してくれたすべてのファンに感謝したいです。

☆☆☆



イメージ・トレーニングを大切にしているのはあちこちで書かれていますね。ソチ入りするときの飛行機の中でも、睡眠の合間にフリーの冒頭で跳ぶ2種類の4回転ジャンプのイメージ・トレーニングをしていたといいます。「そこしか頭に浮かばなかった。イメージの中では全部跳べていた」とインタビューで話しています。

そして、記事内でいっしょに練習したいと思ったスケーターは、言うまでもなく、ハビエル・フェルナンデス選手ですが、その相手といまではこんなに仲良しになれるなんて、思ってなかったでしょうね。ライバルなのにいつもふたりで笑ってて、ほんとうにふたりいっしょの姿を見ると、なごみます^^。


【MAD】Yuzuru Hanyu & Javier Fernandez - Gift Of... 投稿者 buddyholly100


ではでは、きょうも読んでくださってありがとうございました!
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[ 2014/04/09 09:42 ] 羽生結弦 | TB(-) | CM(4)

プロ転向後!のことまで

まだ読んでいない記事を読みたいと思い、この記事を見つけました。 オリンピックで良い成績をあげ、応援してくれた方々に恩返ししたいというお話は、色々読んでいましたが、こんなに具体的なことも話されていたのですね。教室を開いて後輩を育てることまで。トロントでの経験は、素晴らしい宝になりますね。カナダに渡った時、ピョンチャン五輪までのスタンスで考えている と話されていましたが、先々まで考えていらしたのですね。ほんの少しもぶれずに精進し、一つ目の夢を叶え、今は二つ目に向かっています。三つ目を叶える為に、トロントで学ぶことはどっさり有るでしょうね。トロントの皆様に感謝ですね。羽生選手の将来に幸多かれと祈ります。cocoさん翻訳有り難うございます。ますます羽生選手を応援してまいります。
勿論cocoさんのことも!。

[ 2014/06/12 19:21 ] [ 編集 ]

リラさま

昔の記事を振り返って読んでくださってありがとうございます。そうなんです、羽生選手はしっかりと先まで見据えて、ちゃんとやりたいことが定まっているんですよね。そういうところも含めて、とても心惹かれます。いえいえ、私なんてただ訳しているだけなので、羽生選手のこと、これからもいっしょに心から応援していきましょう♪
[ 2014/06/12 21:38 ] [ 編集 ]

私が出来る事は?

改めて読んでも羽生くんのぶれないスタンスと10代でここまで考えられるんだな、とホントに感心します。私が10代の時なんて自分の事しか考えてなかったし、かといって将来を見据えて何をしていこうなんてビジョンも持っていなかった。自分を引き合いに出すのもおこがましいことですが。小学生の頃の感想文で「たくさん拍手をもらって観客に感謝したい」という事を綴っていたのを読んだことが有ります。もともと彼が持っていた資質でもあると思いますが、やはり震災をきっかけに急速に成熟せざるをえなかったのかな。彼の感謝の気持ちに応える為に応援し続けます。

フィギュアデイズNo18届いたら過去のCOCOさんが訳して下さった記事と合わせて読み直したいと思います。泣いちゃうんだろうな。
COCOさんいつもありがとうございます!
そしてリラさん読み返す機会を下さってありがとうございます。

トイレットペーパーの間に挿んだのははしゃぎすぎの私への戒めと厳粛に受け止めました。
[ 2014/06/12 22:09 ] [ 編集 ]

今迄 有り難うございました

c o c o 様の素敵で 愛溢れる翻訳が好きでした。今また読み返して、また 感激しています。ソチを素晴らしい成績で終え、埼玉も頑張り通し、仙台で、夢が叶った と話されましたね。ポチポチ文字を打ちながら、涙が。。。。
その後 もの凄い数のアイスショーを心を込めて演技し通しました。新しいプログラムまで発表して、しかもほぼ完璧に演じたのでした。 想像を絶する努力とご苦労と学びと喜びがあったことでしょう。胸がいっぱいになります。羽生選手の気持ちに寄り添い、沢山の外国の記事の中から、厳選したものをお届けして下さったc o c o 様に心から感謝申し上げます。有り難うございました。ゆっくり療養されてお元気とりもどされますように。恩師の方のご冥福をお祈りさせて頂きます。大切な方を失うというのはとても大きな打撃です。でもきっと胸の痛みの癒える時が来るでしょう。それまで私も祈り乍らc o c o さま復活をお待ちいたします。
[ 2014/07/16 02:27 ] [ 編集 ]

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