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ブライアン・オーサー・インタビュー訳(2014/7/30)"Is That A Skate Guard In Your Pocket Or Are You Happy To See Me?"

※後半、追加しました。遅くなりました……(8/4)。

オペラについての昔ながらのこんな言い回しを聞いたことがあると思います。「太ったプリマドンナが歌うまで、オペラの幕は降りない」そう、このブログも同じ……羽生選手まわりの記事を翻訳して紹介するなら、オーサー・コーチのインタビューを紹介しないわけにはいかない。

というわけで、残念ながら、羽生選手は名前しか出てきませんが、どうぞ〜♪

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Is That A Skate Guard In Your Pocket Or Are You Happy To See Me?
ブライアン・オーサー・インタビュー
ライアン・スティーブンズ著

オーサー

みんな、オペラについての昔ながらのこんな言い回しを聞いたことがあると思う。「太ったプリマドンナが歌うまで、オペラの幕は降りない」ってね。そう、このブログも同じ……ブログでカナダ月間を開催するなら、ブライアン・オーサーのインタビューなしに締めくくるわけにはいかない。そういうものだ。そもそも、ブライアン・オーサーをどう紹介すればいいのだろう? エリザベス・マンリー、ロビン・カズンズ、トーラー・クランストン、アニタ・ハートショーンとフランク・スウェイディングのように、彼はぼくがスケートをはじめるきっかけとなった、すばらしいスケーターのひとりだ。カナダ選手権のノービス・クラスで優勝、カナダ・ジュニア選手権で優勝、カナダ選手権で優勝(しかも、8回連続)。スケートカナダでは3回、優勝し、さらにオリンピックでは2個の銀メダルを獲得、1987年には世界選手権で優勝している。その後はプロに転向し、もっとも成功した評価の高いスケーターのひとりとして、20年近く演技を披露し、スターズ・オン・アイスに出演して各地を回ってきた。2007年に表舞台から身を引いて、コーチ業に転身。ふたりのオリンピック金メダリスト(キム・ヨナと羽生結弦)のコーチを務め、そのほかにも、ハビエル・フェルナンデス、クリスティーナ・ガオ、アダム・リッポン、エリック・ラドフォード、エレーネ・ゲデヴァニシヴィリ、フェドール・アンドレーエフなど、ほんとうに多くのスケーターを育ててきた。さいきんでは、ピーク・パフォーマンス・スケーティングというiPhone用スケーティング・アプリも発売! この男にできないことなんてあるのだろうか。ぼくには想像もつかない。なにより、彼はほんとうに好人物なんだ! インタビューを紹介する前に、ぼくのブライアン・オーサー物語を伝えなくちゃいけない。もう知ってるかもしれないけど。2007年のカナダ選手権が、ここ、ハリファックスで開かれたんだけど、その年にはほんとうにすばらしい演技が見られたんだ。ペアと男子フリープログラムのあいだに、ぼくがたしか、友だちのジェイソンといっしょにリンクのいちばん上の通路を歩いていると、ブライアンがそこに立っているのが見えた。だれかと立ち話をしていたものだから、(いつだって社交的な)ぼくはそのまま、彼のもとへ飛んでいって、自己紹介をした。この機会を逃してなるものかってね。そのときの対応が、これ以上ないってくらい、いい人だったものだから、ついついチケットにサインをお願いしてしまった。ごめん! だって、自分にとってのアイドルに毎日、会えるわけじゃないだろう。少なくとも、そう思ってたんだ。ブログをはじめるまでは……。ともかく、ブライアンがジェフリー・バトルといっしょに羽生結弦のショーのために日本にいるあいだに連絡をとったら、時間を割いて、インタビューに応じてくれたんだ。そのことには、いくら感謝してもしきれない。この記事、みんな、気に入ってくれると思うよ!



2回のオリンピックの銀メダリスト、1987年の世界チャンピオン、3回のスケート・カナダ・チャンピオン、8回連続のカナダ・チャンピオン。また、プロスケーターとしてスターズ・オン・アイスに出演したり、すばらしい演技を披露してきた約20年。いま、振り返ってみて、あなたのキャリアでもっとも特別な瞬間、あるいは印象的な瞬間はいつですか?

特別な瞬間か! たくさんありすぎて、むずかしいな……。1981年にハリファックスで行なわれたカナダ選手権で初優勝したのが転機で、そこから世界へと足を踏み出していった。世界選手権とオリンピックの表彰台が狙える位置にいると気づいたのは、そのときだよ。1979年のカナダ・ジュニア選手権も同じくらい大事な瞬間だ。はじめてトリプルアクセルに成功したからね。2度のオリンピック出場経験もやはり、忘れるわけにはいかない。意欲にあふれ、やる気満々で、五輪のロゴマークの入ったリンクで滑るのは誇らしかったよ。カタリナ・ビットといっしょにテレビ映画の『氷上のカルメン』に出演したのも、最高の経験だった。ちゃんと芝居をして映画製作にかかわるのは、あれがはじめてだったから。CBCのバラエティー・スペシャル番組、"Skating Free"、"Night Moves"、"Blame it On The Blues"の3本にも出演した。最初のメダルを手にしたのは、オンタリオ州サーニアだったな……たしか男子の13歳以下の部門だったと思う……あとは、1987年にシンシナティーで開かれた世界選手権で優勝したときかな。



あなたはオリンピックではじめてトリブルアクセルを跳び、ひとつのプログラムに2回のトリブルアクセルをはじめて組み込んだスケーターとして、フィギュアスケートの技術面にまさしく革命を起こしてきました。あなたが現役だったころの6.0システムと比べて、現在のISUジャッジング・システムでは、技術革新がじゅうぶんに報われるようになったと思いますか? 現在のジャッジング・システムについて、どういう面を改善すべきだと思いますか?

われわれ(コーチとして)はそのときのシステムを受け入れるしかない。コーチとしての私の仕事は、自分のスケーターにあらゆる技を身につけさせて、どんなシステムでも対応できるようにすることだ。実際、いまのシステムは気に入っている。"バランスのとれた"スケーターが報われるようになっているからね。自分もそういう訓練を受けてきたが、試合に出たら、ジャンプが振り付けの”王様”のようだった。スピンは、エッジワークやターンやつなぎと同様、二の次だった。大いなる改善が必要なのは、採点の透明性だろう。ジャッジを"守る"匿名制は、外的圧力なしに感じたまま採点できるようにするためなのだろうが、私は逆効果だと思う。



ブライアン・ボイタノ、カタリナ・ビット、エカテリーナ・ゴルデーワとセルゲイ・グリンコフ、ジェーン・トーヴィルとクリストファー・ディーンたちはみんな、1994年のリレハンメル・オリンピックで復帰しましたよね。あなたもリレハンメル・オリンピックで復帰することを考えましたか?

(笑って)30秒くらいは考えたと思うよ! いま名前の挙がった”偉大なスケーターたち”が復帰したのはとても勇敢だったと思うが、私はすでに別の方向と別の道に歩み出していて、そちらへ進んでいきたいと思ったんだ。



”The Story Of My Life”はあなたの代表作のひとつというだけでなく、当時のフィギュアのプログラムの中でもっとも感動的なもののひとつとして傑出しています。この曲とプログラムは、あなたにとってどういう意味があるんですか? また、こんなに長年、滑ってきたのは、どういうところが気に入っているからですか?

”The Story Of My Life”は母が見つけて、気に入っていた曲なんだ。母も私もニール・ダイヤモンドの大ファンでね。カルガリー・オリンピックのあと、1988年のシーズンには、この曲がぴったりだと思ったんだ。現役としての最後のシーズンだったから。1996年に母を亡くしてから、母に捧げるためにまた滑るようになった。同時に、滑ることで、つらい気持ちを乗り越えてきた。私には、スケートがなにかを感じたり、表現したりするための方法なんだ。毎晩、この曲と友だちと観客がそばについていてくれた。



また、プロスケーターに戻って、ツアーに出たり、定期的に演技を披露するつもりはないんですか?

(笑って)ないよ! もう、じゅうぶんやったし、Tシャツもたくさん持っているから!

(※ここから追記です。すみません、アプリの話はいつものように省略します)

あなたは過去にも、そしていまも、現在のフィギュアスケート界の有力選手のコーチを務めていらっしゃいますね。オリンピック金メダリストのユヅル・ハニューとキム・ヨナ、オリンピック団体戦銀メダリストのエリック・ラドフォード、ヨーロッパ選手権二連覇のハビエル・フェルナンデス、アダム・リッポン、クリスティーナ・ガオ、そのほかにも手がけてきたスケーターが多くいらっしゃいます。あなたにとって、スケーターからコーチへの転身は自然な流れでしたか? コーチとしての、あなたの「秘訣」はなんですか?

コーチ業への転身はスムーズだったが、急に降って湧いてきた話でね。突然、クリケットクラブのスケーティング部門のディレクターになってほしいと声がかかったんだ。思いもよらなかったよ。トレイシー・ウィルソンがいっしょにやってくれるのなら引き受けようと決めて、彼女がイエスと言ってくれた。あとは知ってのとおりだよ。私の最初の生徒は、韓国の15歳のジュニア・スケーターだった。名前はキム・ヨナ。もちろん、才能はあったが、残念ながらスケートへの情熱と喜びに欠けていた。私のいちばんの武器は、高いレベルで競い合ってきた経験だと思っている……身体をどう調整して臨むか。中でも、メンタル面をどう調整して臨むか。(中略)私の「秘訣」はいろいろとあるよ。メンタル面の調整に万全な準備、コミュニケーション、チームワーク、モチベーション、そして、なによりもスケーターを信じること。彼らなら、みずからの持っている可能性を存分に発揮できるとね。

過去のあらゆるスケーターの中で、好きなスケーターを3名挙げて、理由を教えてください。

ロビン・カズンズ、ステファン・ランビエール、ジャネット・リン、カート・ブラウニングだよ。だけど……いまのスケーターで好きなのは、ユヅル・ハニュー、ハビエル・フェルナンデス、ナム・グエンだ。

あなたについて、ほとんどの人が知らないだろうと思うことを、ひとつ教えてください。

若いころからメディアに出ている者なら、みんなが知らないことなんてないんじゃないかな。



世界じゅうのスケーターにひとつアドバイスをするとしたら、なんですか?

私にできるアドバイスはただひとつ、自分自身を自由に表現すべきだということだ。スケートというものの美しさを大切にして、その美しさをシンプルに表現する方法を、時間をかけて模索することだ。

さて、このブライアンへのすばらしいインタビューで、カナダ月間は終了! このブログのfacebookツイッターに載せた動画と、幸運にも行なうことができた最高のインタビューすべてと、ぼくが紐解いてきたカナダの偉大なスケート史を通して、ぼくはたくさんのことを学んできたし、みんなもそうだったらいいなと思う。きみがカナダ人であろうとなかろうと、この国が長年、このスポーツにどれだけ貢献してきたか、感心せずにはいられないはず。ぼくはこのすばらしい国でスケートをして、いまではスケートについて書く機会を与えてもらっていることを誇りに思うよ! さて、この次は? きみたちに読んでもらうために、もっとインタビューして、もっとスケート史を掘り起こして、もっとおもしろい記事を書くよ。それはなにか? 乞うご期待。いつも応援してくれてありがとう。そしてなにより……このブログのことを広めてくれてありがとう!

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いま、好きなスケーターは、羽生選手にハビエル選手にナム選手って……どれだけ愛情深いコーチなんでしょう。そして、オーサー・コーチが特別な瞬間のひとつとして挙げている、CBCのバラエティー・スペシャル番組、"Skating Free"の中の"The Story Of My Life"の演技にじーん(泣)。いつのまにか、オーサー・コーチのファンにもなっている自分に気づきます……。

そうそう、absolute skatingのカート・ブラウニング氏のインタビューにも、羽生選手の名前が出ていますね。

「いま、あなたがインスパイアされているスケーターは誰ですか?」という質問に対して、テッサとスコット、ジョアニー・ロシェットの名前を出したあとで、

「そのほか、誰にインスパイアされているかというと、ジャンプで言うなら、ほんとうにたくさんいるよ。私はユヅ(ル・ハニュー)の大ファンなんだ。ユヅとパトリックとハビ。この3人はもう、ほんとうにすごいよ」

続いて、芸術面ではシェイ=リーン・ボーン、振り付けではジェフリー・バトルの名前を挙げています。

さあ、これでしばらくは英語のニュースはない……ですよね?
あってほしいような、ないとほっとするような……^^;。

そうそう、前回の記事に書いたガス・ストーブですが、いろんな方から反響がありました。
結果、全員一致で「しまわなくていい!」。
というわけで、いまだにでんと置かれたままになっているのでした……。

注:ナム選手の苗字は「ニューエン」と読むそうですが、日本の活字媒体ではグエン表記になっているため、こちらではそれで統一しています。Fantasy On Ice富山公演のテレビ放送でも、アナウンスでは「ニューエン」、字幕では「グエン」になっていたようです。アメリカのルーズベルト元大統領も、原音ではローズベルトのほうが近いのですが、ルーズベルト表記のほうが多いように見受けられますし、なかなかむずかしい問題です。
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[ 2014/07/31 00:43 ] ブライアン・オーサー | TB(-) | CM(-)

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