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Golden Skate記事訳「オリンピック・チャンピオンの羽生は挑戦しつづける」

中国杯メモも途中ですが、とりいそぎ、記事訳をアップします。

オリンピック・チャンピオンの羽生は挑戦しつづける
タチアナ・フレイド著・撮影

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2014年中国杯にて、日本の羽生結弦とブライアン・オーサー・コーチ

日本の羽生結弦は、先シーズン、若干19歳にしてソチ・オリンピック金メダルと世界選手権金メダルを獲得し、フィギュアスケート界の頂点に立った。しかし、今シーズンは彼にとって厳しい幕開けとなった。

先月初めの中国杯で、全日本二連覇中の羽生はフリーの6分間練習で中国のハン・ヤンと衝突した。この事故は世界じゅうで大きく取り上げられ、アスリートの安全性についての議論を巻き起こした。

ふたりのスケーターはうしろ向きに滑っていたため、相手の姿が見えなかった。

「最初にぶつかったのは膝だと思います」と羽生が振り返る。「彼の膝が腿にぶつかって、ぼくは左足で立っていたから、その衝撃で倒れたんです。そのときに腹部を打って、息ができなかった。脳震盪だとか、そういうことは考えませんでした。頭を打った感覚はなかった。意識ははっきりしていたけど、ただ呼吸ができなかったんです」

ブライアン・オーサーに師事する羽生は、顎を数針縫い、ほかの箇所からも出血があった。それでも、彼は競技を続行するため、頭にバンデージを巻いて現れた。その姿は、戦場にふたたび赴こうとする、手負いの戦士さながらだった。5回の転倒がありながらも、羽生は後悔していないという。

「あのときは、滑りたいと思って、出場を決断しました」と羽生は言う。「結果的に良かったと思います。あの状態で演じた『オペラ座の怪人』が観客(ファン)の心を動かしたのを感じました。みんなが声援を送ってくれるのを見て、圧倒されました。キス&クライで泣いたのは、それが理由です。点数が発表されて、みんなが祝福してくれて……そのことが、ただただ、うれしかった」

そういう状態でありながらも2位につけた羽生は、翌日、日本に帰国し、10日間の休養を余儀なくされた。

「滑ることも、トレーニングすることもなく、ただ体を休めて、眠って、テレビを見ていました。初めてリンクに立ったときには、ほんとうに痛かった。激痛がやわらいでから、トレーニングを再開しました」

2014年のオリンピック・チャンピオンの羽生は、事故を何度も見返すこととなった。テレビでも、新聞でも、ネットのメディアでも、くり返し、扱われていたからだ。彼は、自分の競技続行が議論を巻き起こしていることを、ちゃんと承知していた。

「いろいろな意見を耳にしましたが、あれはぼくの判断です」羽生は言い切った。「賛否両論がありました。ブライアンを責める声もありました。そのことについてはほんとうに申し訳なく思ったし、悲しかったです。ブライアンが残念に思うのがわかっていたからです」

3週間後、NHK杯に出場するにあたって、現世界王者である羽生は、当然のことながら、まだ万全の状態とは言えず、4位という成績で、なんとかグランプリファイナルへの切符を手にした。試合では4回転ジャンプは跳べず、それ以外でもミスがあったが、公式練習や6分間練習では、何度もきれいな4回転ジャンプを決めていた。

「100%の状態とは言えないけど、回復しています」と羽生。「感覚が戻ってきました。ミスをしたのは、純粋に自分のせいです。怪我のせいじゃありません。それがいまの自分の実力だと思っています」

コーチによると、グランプリファイナルのディフェンディング・チャンピオンである羽生に必要なのは、つまるところ、さらなる練習だけだという。

オーサー・コーチがこう説明する。「秋には腰の故障で、しばらく休養をとりました。きちんとしたトレーニングができていないところへ中国杯での衝突があり、大きな遅れをとったんです。だから、NHK杯では少しでも前進できたらと願っていました。練習だけでも進歩が見られました」

オーサーによると、オリンピック・チャンピオンが新しいシーズンを迎えるのは簡単なことではなく、これが羽生にとって、なにかを学ぶ、良い経験になるだろうという。

「われわれは大局を見据えています」とオーサー。「大局とは、言うまでもなく、全日本選手権と世界選手権です。今回の件は、彼のトレーニングを向上させるきっかけとなってくれる、それだけです」

時差のある地域への度重なる移動を避けるため、羽生はNHK杯後も日本に残り、グランプリファイナルに備えることとなった。

「ブライアンはすぐにスケジュールを送ると言ってくれました」と羽生。「たしかに、練習時間はじゅうぶんとはいえません。(NHK杯では)負けました。(グランプリシリーズの)2大会を通して、取り組むべき多くの問題や課題が見えてきました」

仙台出身の羽生にとって、もっとも重要なのは挑戦だ。頂点へと登りつめた彼を駆り立ててきたのは、自分への挑戦なのだ。

「プライドとか、自分を誇りに思うとかじゃなく、(また)挑戦者になれるという気持ちが強いです。今シーズンは、4回転トウループをブログラムの後半に入れることを目標にしていますが、(いまのところ)成功していません。そういった、これまでにやっていないことに挑戦したい思いはありますが、健康がどれだけ大切かに気づかされました。ブライアンにはいつも、きみの体がいちばんだと言われてます」

12月7日に20歳になる羽生は、オリンピック金メダル獲得後も、自分は何も変わっていないと感じているが、マスコミやファンから浴びる注目に対処しきれないときがあるのを認めた。彼はなによりも、競い、そして演じる、1アスリート、1スケーターでありたいと考えている。

◆◆◆◆◆

衝突の瞬間に、羽生選手が左足で立っていたかどうかを確認するために、中国杯の録画を見ることになるとは思いませんでした。しかも、ニュースのスロー再生まで……はは……はは……はは……。

それはともかくNHK杯、行ってきました!
ずっと会いたかった方にもお会いすることができて、うれしかったです。
ありがとうございました♪

まず、なみはなドームですが……ぜんぜん寒くありませんでした!
外気温の影響を大きく受けるリンクらしく、たまたま大阪の気温が高かったせいもあるんでしょうね。
全日本のときには凍えたとふたりから教えてもらったので、今回はとくべつに暖かったようです。
とはいえ、観客が少なめの早い時間には、冷え性の私には薄手のダウンとひざ掛けが必要でした。
そのあとは、着込んでいると汗ばむくらいでした。
まあ、この情報がいったいいつ役立つのかわかりませんが^^;、一応、記しておきます。

そして、またもや安いホテルに宿泊し、またもや「ブランケット・プリーズ」の闘いに敗れた私……。
(いえ、日本だから、「ブランケット・プリーズ」とは言ってないんですけどね)
ホテルにチェックインすると、まずはベッドを確認。
当然、薄い上掛けしかないので、すぐにフロントに電話して毛布をお願いしましたが、用意がないとのこと。
上海と同じく、エアコンで対処してほしい、と。
ま、ふつうですよね。
でも、さすが日本! 加湿器を貸してくれるというので、さっそく借りてきました。
そしてエアコンをつけたのですが……温風が吹き出すたびに天井からガガガと異音が(笑)。
とてもうるさくて眠れないので、消して寝ましたが、気密性が高いのか、たまたま暖かい日だったせいか、ぜんぜん寒くありませんでした。
今回のホテル、ほんとうに変わっていて、なぜかひと昔前のカントリー調のインテリア。
鍵も昔ながらのシリンダー錠で、チェーンがない!!!
帰宅してから家族に「今回のホテル、チェーンなかったよ」と報告すると、「ヨーロッパでも、あるから、そういうホテル」と言われてしまいました。
ま、たしかにね……ヨーロッパの古いホテルなら、そういうこともあるかもね……もっと高級なところだと思うけど……。
なんで、いつもわざわざ、安いホテルを選ぶのかというと、
予算が厳しいというのもあるんですが、おもしろいから!
でも、たまには高級ホテルに泊まってみたいな、と思うcocoでした。

えっと、NHK杯のこと、まったく書いてないですね。
もともとレポには向いてないので、今後も書かないと思いますが、
私はオペラ座の衣装を中国杯から変えてくるだろうと予想していて、
私の友だちは〝着回し派〟(ものは言いよう♪)の羽生選手は変えないだろうという予想。
ふふふ、勝ちましたーーー!
でもね、彼女に大きく水をあけられたことがひとつ。
私は何も考えず、新幹線で大阪に行ったのですが、
彼女はなんと、成田空港からLCCで大阪入りして、7000円くらいで行けたのだとか!
ま、まけた……。

そんなことはさておき、新衣装、大好きです。
ジャージを脱いだ瞬間、「かっこいい!」と口から本音がダダ漏れだったらしく、隣席の友人から「声、出てるよ!」と叱られました。
す、すみません。
そして『花は咲く』のあいだ、なみはやは天国と化していました。
フリーでも、『花は咲く』でも、うっかり泣いてしまったことは秘密です……。
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[ 2014/12/03 14:44 ] 羽生結弦 | TB(-) | CM(-)

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